ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年11月07日
 ドヒー! おばけが僕をペンペン殴る!

 『でろでろ』を通読していると、押切蓮介の魅力は、幽霊や妖怪がどうのこうのという以前に、あ、それはあるね、わかるわかる、そうした共感がフックとなり、おかしみを誘うところにある、といった具合に理解するのがもっとも納得できるかな、と思えるのだが、もうちょいべつの言い方のあるような気が、この読み切り作をまとめた『ドヒー! おばけが僕をペンペン殴る! 押切蓮介作品集』を読みながら、した。それはつまり、押切のマンガにおける、幽霊や妖怪との邂逅は、ごく日常的に、隣人からかけられる迷惑の、アレゴリカルな表現なのだ、ということだ。隣人というのは、もちろん他者と言い換えてもよい。そのように考えるのであれば、他者の不用意な接近に恐怖する、そういった部分を介して、なるほど、昨今の日本的なホラー映画に通じる邪悪な気配が、作中から漂ってくるわけである。そのことの具体性は、ここに収められた、作者には珍しくギャグの要素がいっさい排除された「かげろうの日々」にうかがえる。「かげろうの日々」に描かれているのは、他者に向けた悪意が、他者という像に反射して、自分へと返ってくる、わりとまっとうな因果観であり、そこに含まれ、焦点化されているのは、他者が脅威でしかないような、そういう怯えだといえる。怯えは隠蔽された結果、悪意へと変わる。その、隠蔽されながらも、けっして消えないものにこそ、少女は逆襲されているのであった。しかしながら作者の本分はやはり、そういった関係性を逆転させ、本来ならば不可視なものを、解釈可能な他者のレベルで掴まえることにより、畏怖すべき対象とのやり取りを、おかしく笑えるワン・シーンに変える点だろう。登場人物たちが、幽霊や妖怪などの類と、対等に殴り合えるのは、それが異者との交わりではなくて、あくまでも他者との出会いだからなのである。

 『マサシ!! うしろだ!!』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
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