ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年11月06日
 新書365冊

 世のなかには新書読みとでもいうべきタイプが(たぶん)いて、ときおり新書のみをずらーっとレビューしてあるブログなどを見かけると、この人は新書以外は読まないのかしら、ふと疑問を覚えることがあるのだが、それというのは僕が逆に、新書の魅力というのをよくわかっていないからなのかもしれない。だいたいハードカヴァーよりも新書のほうがすぐれているという書き手というのは、そんなにいないのではないか、という思いなしがあるよ。たとえば小谷野敦は『もてない男』が売れたけれども、あれは小谷野の他の本と比べたら、読むところがすくないし、たとえば石原千秋は阿呆みたいに新書を出しているけれど、石原ので辛うじて読むに値するのは、けっして安価ではない『テクストはまちがわない』ぐらいだし、小説家が、なぜだかわからないが、小説ではない類の文章を書いている新書は、全滅に近しい。すこし話は変わるが、仲正昌樹が先日出した新書『ネット時代の反論術』は、語り下ろしというスタイルも、話されていることも、かなり『ラディカリズムの果て』とダブっていたので、誰に責任があるのかはわからないが、一瞬、ぼったくられた、と思ってしまったのだけれども、よくよく読むと、新書のほうが、やや内容がよかったという、そういうケースもままあるし、鈴木淳史の『クラシック批評こてんぱん』のように、最初は新書で発表され、のちに文庫になるというケースもあり、もちろんたまたま出版形態が新書であっただけで、中身が突出しているものもかなりあるのは知っているつもりだから、べつに新書の悪口が言いたいわけではなく、じっさい僕だって、人文学のものを主に、よく読む。それで何の話だったかといえば、宮崎哲弥の新書『新書365冊』を読んでの、たんなる思いつきを、これまでだらだら述べてきただけであった。この『新書365冊』は、とにかく膨大な数の新書を、一冊一冊解析し、おおまかに論を取り出し、相対的に評価した、ガイドというか、ウォッチの色合いがつよいものとなっている。相対的とはいっても、あくまで宮崎の主観を、新書に対し、向かい合わせたかっこうになっており、対象のうちにある意見のそぐわない箇所に関しては、なかなか厳しい。正直なところ、この新書もまた宮崎の他の本に比べて、とくにすぐれたものではないのだが、それでもたしかに、えらい仕事だ、とは感じられる。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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