ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年07月02日
 笙野頼子の小説を読むたびに、笙野頼子の小説を読む(楽しむ)のに必要なものは何だろう、と考える。妄想力だろうか、コード(知識)だろうか、それとも単なる読解能力だろうか。

 私が住んでいるのはS倉という千葉の、架空の城下町です。ご存じのように猫のために家を買ってここに越したのだ。

 『片付けない作家と西の天狗』は短編集であるが、しかし、相変わらずの一人称でフィクションともノンフィクションともとれない(どちらともとれる)記述が、一見さんお断り風な、独特の世界観を作り上げている。そして、そこは、ものすごく孤独な場所のように感じられる。
 表題作である『片付けない作家と西の天狗』は、大塚英志との論争がベースとして置かれていて、そういったスキャンダラスな部分に焦点をあてて読む分には、エンタテイメントしている感じであるけれども、後半になると、簡単に通り抜けできないような奇妙な暗さがこちらの足元に絡みつく。
 片付かない部屋、として読後に残されるその暗さこそが、笙野が「文学」として表現に託したものなのだと思う。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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