ああ、やっぱり音楽批評(ロック批評)なんてのはいっかい死んだほうがいいなと思うのは、『ロッキング・オン』今月号の古川琢也のマイ・ケミカル・ロマンス評を読むからで、このアルバムに関して、「もっと泣きたい」といっているように聴こえる古川の耳というのは、それが空虚なレトリックでなければ、じつに幸せに出来ているのだろうな、と感じたからなのだった。何度聴いても、僕にはそのようには聴こえこない。
最近じゃあもう、あんまりアーティストのインタビューとか読まないのだけれど(どいつもこいつも言うことが退屈だから!)、マイ・ケミカル・ロマンスのインタビューが同号に掲載されているので、せっかくだから読んでみる。すると<だから……俺たちからファンへのメッセージといえばいつも決まってシンプルで、とにかく『いつも生き生きと前向きに生きよう』ってことなんだよね>といっていた(ねえ、退屈でしょう)。つまり、彼らが表現したいことというのは、べつに「泣きたい」ということではないのであった。
や、べつにアーティストがインタビューで答えていることがすべて正解式のことを言いたいわけじゃない。もしもアーティストが「自分たちのいいたいこと」を表現して、出した音が「聴き手には違って聴こえる」としたら、それはどういうことだろうか。というのを考えることもまた批評の仕事であると僕には思われるのだ。90年代にカート・コバーンが亡くなったとき、多くの音楽ライターが自分たちは本当にニルヴァーナのサウンドを聴き取れていたのだろうか、カートがいうところの「レイプ・ミー」の本当の意味は?的な、そういう猛省をしたが、あれから10年以上経った今もなお、音楽批評(ロック批評)というのは、進歩も前進もなにもない、なんていう状況なのである。
ところでマイ・ケミカル・ロマンスはやはりファーストがいい。初期アイアン・メイデン(つまりポール・ディアノ在籍時)を、新しい感性で録音しなおしたかのようなそのサウンドには、この時代だからこそのオリジナリティが宿っていた。
ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2004年07月02日
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