ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年10月15日
 溺れるナイフ 4 (4)

 つい先日某人気男性アイドルが突然の活動停止を発表したばかりだということもあるし、このあいだ綿矢りさの、やはり芸能界に身を置く子どもを主役に据えた『夢を与える』という小説を読んだこのタイミングだからなのかもしれないが、ジョージ朝倉『溺れるナイフ』の、4巻の内容、つまりそれは、少女モデルが行き過ぎたファンの暴挙のため心的なダメージを負う、といったくだりを目にしながら、こういう大勢の好奇を集めがちな人間がフラストレイトする姿というのは、じつに、ステレオタイプであるほどに物語的で、たぶん大昔からそうだった、が、しかし今日の、相互監視社会と気取った言い方をすれば、その抑圧下にあっては、不特定多数が自然に蓄積してゆくストレスと、ほとんど同型であるとしたなら、物語自体の性質あるいは感受のされ方は、以前とはおおきく異なるのではないか、と思わされた。たとえば、ここで、ヒロインの夏芽が覚える対人的(対視線的)なオブセッションは、原因はともあれ、ノイローゼの傾向としては一般的だといえ、けっして彼女の自意識が特殊だからそうなった、というわけではないだろう。むしろそうしたオブセッションが夏芽に生じることで、彼女の自意識が、表現のなかにあって、ようやく確立されたようにも見える。そしてそのことが今後、この少年と少女の暗いロマンスにおけるリアリズムと共感を支えてゆくことになるのでは、と予期させなくもない。

 2巻について→こちら
 1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(6) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
この記事へのコメント
いつも楽しみに読んでます(少女漫画だけ)。
自分が気付かなくて引っかかっていた事が書いてあったりすると、「おっこれだ」と嬉々としています。
「リアリズムと共感を支えてゆくことになる」
これです。
びっくりでした。
こんな方法はありなんでしょうか?
この作者はいつも予想外でびっくりさせられるのだけど、ヒヤヒヤもする。
どこまで計算されているのでしょうか。
どこから力業なんでしょうか。

こんなに、少女漫画の王道でありながら、それと気付かないほどの切り口。
愛して止みません。
しかし、こう、いてもたってもいられなくなる感じ、何なんでしょう。
なりませんか?
ならんか(笑)。
Posted by ゆか at 2006年10月15日 16:12
ゆかさん、こんにちは、どもです。
ジョージ朝倉のマンガは、結果的にというか最終的にというか、ポジティヴなほうへの力業になっているところが、ぐっときます。何であれ、そういうものをエモーショナルな表現だと考えている人なんではないでしょうか。
Posted by もりた at 2006年10月16日 17:27
「ポジティブに向かう力こそがエモーションだろ?」って事ですか?
あたしなんかは「自分にとってどれだけリアルか」を重視してしまうので、「ハッピーエンドにこだわる作家」とどっかで読むまで気付きませんでした。
けど、確かにそうかもしれません。
そうなのでしょうね。
どんなに暗くなっても、風通しがいいのはそのせいでしょうか?

それから気になるのは、ジョージ朝倉は女独特のクドさのある作家だと思うのですが、その辺り男の人は嫌悪感とかないのですか?
男の人がどんな風に読んでいるのか、いつも思います。

なんか恥ずかしくなってきました(笑)。
コメント緊張します。
それでは。
Posted by ゆか at 2006年10月16日 20:15
おや、失敗した。
削除してください。
Posted by ゆか at 2006年10月16日 20:17
コメント最初に書いてあったほう(でよかったのかな)削除しときました。

うまくはいえないのですが、エモーションというか感情というか、そういうふうに見えるものがあるとしたら、それってたぶん、心の動きのことだと思うのです。
だから、単純に、ネガティヴな気分がポジティヴな気分に「動く」ことが、エモーショナルに感じられるのではないかなあ、と。いや、やっぱり、あんましうまい言い方ではないで、そのあたりはじょじょに考えていきます、今後。

それでは。
Posted by もりた at 2006年10月17日 19:00
お手数をお掛けしてすいません。

レスありがとうございました。
楽しかったです。

また。
Posted by ゆか at 2006年10月17日 21:10
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