ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年10月12日
 独白するユニバーサル横メルカトル

 平山夢明のものは、これまで読んだときがなかったのだが、『小説すばる』10月号で大森望が、『文學界』11月号では中原昌也が、この短篇集『独白するユニバーサル横メルカトル』について、えらい賛辞を送っていたのにそそられ、手にとった次第なのだけれども、まあそれぞれ知り合いらしいという事実は差し引いても、中原の「読むスラッシュ・メタル」という評は、じつに言い得て妙で、倫理のパースペクティヴが甚だしいほどに狂った内容は、読み手に対して、ある種の生理的な耐性を強いるが、しかし、いったん引き込まれると、ページをめくる手は、一方的に加速する勢いである。ほとんどすべての篇で、人体が改造されるか、解体されるか、焼かれるか、食されるか、いずれにせよ無惨に殺される、というのがイメージのレベルで堪える、というのもあるけれど、それ以上に、けっして善良ではない人間が、より純度の高い悪意に逆襲される、その、非常に理の適った不条理に、生きるも死ぬも同程度に不当であり、この世のなかでいちばん怖いのは痛みを知覚する事実であるに違いない、と、さんざん思い知らされる。胸糞が悪い、そのことに疑問を差し込む余地は1ミリもなく、いっそ清々しい。こういうグロテスクな譚の類は、ふつう、独特な美意識が嵩じるあまり、まず文章を見た時点で、入り口が狭く感じられがちなものだが、ここでの適度に端正な文体は、敷居の高低を錯覚させ、足を踏み入れたとたん、さっ、とその世界観に攫われてしまうところが、何より、こわい。秀逸なのは表題にもなっている「独白するユニバーサル横メルカトル」で、地図が語り手をつとめるというトリッキーなアイディアが、アイロニックなおかしみと同時に、静謐ともとれる叙情を、ぜんぜん良心的じゃあない話のうちにもたらしている。また最後に収められている「怪物のような顔の女と溶けた時計のような頭の男」という、題名からして嫌な感じのそれも、肉体と精神、現実と夢、覚醒と混濁の、さまざまな意匠による二重奏に脳が揺さぶられるからなのか、吐き気がするような描写にもかかわらず、それこそ登場人物のひとりが言う「ロマンス」と覚しきフィーリングさえ受けとってしまえるのが、(こう、顔を覆った両手の、その指の隙間から目を覗かせながら)ほんとうに、いやだ。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック