ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年10月06日
 愚者と愚者 (下) ジェンダー・ファッカー・シスターズ

 『裸者と裸者』がそうであったように、物語の主人公は、この『愚者と愚者(下)ジェンダー・ファッカー・シスターズ』から、女の子だけをメンバーとするマフィア、パンプキン・ガールズのボス、椿子へとスイッチする。時系列は上巻の直後、海人の電話が、椿子に感傷的な気分をもたらしたところから、はじまる。そして銃撃戦が、ロケット弾が、ふんだんな死傷者を、出し惜しむことなく出しながら、作中の時間は進められていくのだが、副題に示唆されているとおり、セックス(性交)に対する指向性の葛藤は、より色濃くなっており、あるいはそのことが、戦局さえも、おおきく左右する。ロマンティック・ラヴをせせら笑い、ほとんど唯物論者のように見える椿子が、パンプキン・ガールズに敵対する勢力を「社会正義党はどこにでもいる腐敗した人種差別主義者で女嫌い。我らの祖国は腐敗した狂信的な人種差別主義者で女嫌い。黒い旅団は生真面目な反人種差別主義者のくせに狂信的な女嫌い」と分析し、唾棄し、男性とも女性とも、それらのあいだにまたがる性の人たちとも共闘することができ、寝ることができるのは、つまり「混沌こそ、破壊エネルギーの尽きせぬ源泉なのさ」と信じているからで、海人が率いる孤児部隊が〈こじはみな、はらがへって、軍たいにはい〉り、〈むずかしい話はかんけいない〉がゆえに、イデオロギーにはまることもなく、ただ勝利を優先させる能力に長けているのと近しいように、パンプキン・ガールズも、イデオロギーの外側で、ただ自分たちが自由に振る舞うためにのみ、持ちうる力を最大限に発揮する、だからこそ規律は守られなくとも、強いのだ。しかし現実的に、組織としてのまとまりのなさが、彼女たちを窮地に追いやることもある。欲望を認めながらも、コントロールする術は、十分に学ばれなければならないのである。孤児部隊にとって、それは教養、知性の教育にあたり、パンプキン・ガールズにとっては、軍事訓練、ある種のディシプリンであろう。両者は対応している。それもまた、作中でいわれる〈二者の愚行〉のひとつに数えられるのかもしれないけれど、成熟と平和が、双方を解体する前に、物語の幕は、潔く、おろされるのだった。

 『愚者と愚者(上)野蛮な飢えた神々の叛乱』について→こちら
 『裸者と裸者(下) 邪悪な許しがたい異端の』について→こちら
 『裸者と裸者(上) 孤児部隊の世界永久戦争』について→こちら
posted by もりた | Comment(2) | TrackBack(0) | 読書(06年)
この記事へのコメント
このお話は、性欲や人との愛情を表現出来ていると思います。ほかほかした気持ちになりました。
Posted by ゆうまん at 2009年03月14日 12:12
ゆうまんさん、どうも。コメントありがとうございます。
そうですね。性欲と愛情の、さまざまな葛藤でできた世界の悲しみも、うまくすくいとれている気がします。だからこそ、シリーズ全体が未完に終わっているのが、とてもとても悔しいと思うのです。
Posted by もりた at 2009年03月14日 22:21
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