ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年10月06日
 愚者と愚者 (上) 野蛮な飢えた神々の叛乱

 応化という元号で語られる内戦状態の日本で、孤児部隊を率いていた少年佐々木海人が、青年になったのちの物語が綴られた、打海文三『愚者と愚者(上)野蛮な飢えた神々の叛乱』である。表紙には、ややライトノベルがかった清潔なイラストが添えられることになったけれども、『裸者と裸者』に引き続き、けっして柔くない、ハードな殺戮の風景が、鮮血をともない描写されている。ゲイ・ヒロイズムを掲げる「黒い旅団」や、性的マイノリティを攻撃する「我らの祖国」といった勢力が台頭してくることで、三つ巴、四つ巴の戦況が、さらに混乱をきわめる、そうした新しい局面に象徴的であるように、セクシャリティの問題が、物語の前面へと迫り出しており、そこから生真面目に主題みたいなものを読み取ろうとすれば、できなくもない、が、まあそれだけを見てしまうと、マンネリな議論に似て、いささか退屈であるし、けっして、そのようなイデオロギーを語るだけのナルシスティックな振る舞いに、作品は終始していない、と思う。たとえば人種差別も含め、レイシズムが恐怖からやってくるのであれば、ではその恐怖はいかにして飼い慣らされるべきか、といった問いに対し、答えのないことの混沌が混沌のまま転がる周辺を、登場人物たちは、右往左往疾駆し、生き、ときには死んでゆく、強くも儚くも、また愚かしくもある行動の連鎖反応を、繰り返し捉まえることにより、エンターテイメントとしての内実は成り立っているのである。最低限の秩序も、戦況次第で、容易く覆される、そのような場において、善悪を線引きし、倫理を決定することは困難を極める。しかし、人は自分が無意味であることには耐えられないので、確信をもって語られる主義や主張に同調し、そうして生まれた信念や欲望を、あらかじめ自分の内部にあったものだと信じうる、結果、裏切ったり、裏切られたりもする。作中の言葉を借りれば〈世界は神の悪意にほんろうされてる〉わけだ。クライマックスで、海人を見舞う困難は、同時に少年時代との決定的な訣別を促す。それでも彼の人生は、「律儀で無学な鈍くさい男の子の悲劇」の残響をともない、続いていくのだろう。

 『裸者と裸者(下) 邪悪な許しがたい異端の』について→こちら
 『裸者と裸者(上) 孤児部隊の世界永久戦争』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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