ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年09月19日
 『小説すばる』10月号掲載。「beast of burden」は、絲山秋子による連作「ダーティ・ワーク」の最終話である。およそ1年に渡って発表されたシリーズの落としどころは、熊井と遠井、ふたりのこれまでとこれからを繋ぐターニング・ポイントとして成立している。〈ずっと探していたTTと会えたのは、楽屋に出入りしている花屋の辻森さんのおかげでした〉。そう語りはじめる彼女は、しかし〈私は別れる日のことまで考えてしまうから、男の人と出会ったときに悲しくなるのかもしれません〉という習慣のせいで、やがて彼と付き合うようになってからも、ふたりのそれからに対し、どこか消極的な展望を描いてしまう。ここで〈私〉となり現れている熊井望は、第1話の頃からのイメージからすると、非常に女性的な語り手である。じじつ読んでいるうちに、彼女がロック・バンドで男性メンバーに引けをとらない演奏をするギタリストであり、それ相応のタフさを持っていたことは、こちらの頭のなかからは抜ける。そして、そのような書かれ方がそのまま、作中の主題と重なる。自分が妊娠していることをTTに告げられない〈私〉は、女友だちから「ばか、あんたそんな男らしく見えるのに、見た目と違いすぎ。何が恥ずかしいの」と笑われてしまうし、〈私は、きっと子供を産むだろう。昔から女たちがしてきたように〉〈少しずつ、母親になっていく自分が、この森のなかにいる。それは心地のいいことでした〉と、通俗的ともいえる女性の役割を受け入れてゆくのであった。が、しかし作品の比重は、そうした母になることの決意よりも、そのことを共棲する異性と過不足なく分かち合うことはできないといった認識、つまり、他者との関係性はつねに不完全であるがゆえに他者は他者として意識されるといった状態のほうへ、つよくかかっていることが、おそらくは「ダーティ・ワーク」という連作の、総体として持ちうる価値であろう。「beast of burden」という題名は、これまでと同様にローリング・ストーンズのナンバーからとられており、その歌詞からは作中に「重荷」という言葉が導かれている。重荷とはいったい何だろう。具体的に語られなくとも、ある程度の見当はつく。けれど、それは同時に、言葉のうちにある意味が、漠然としているということでもある。その漠然としたものに包まれるとき、性差の問題はともあれ、読み手は〈私〉とともに、立ち止まる。

 「ダーティ・ワーク 第六話 back to zero」について→こちら
 「ダーティ・ワーク 第五話 miss you」について→こちら
 「ダーティ・ワーク 第四話 before they make me run」についての文章→こちら
 「ダーティ・ワーク 第三話 moonlight mile」についての文章→こちら
 「ダーティ・ワーク 第二話 sympaty for the devil」についての文章→こちら
 「ダーティ・ワーク 第一話 worried about you」についての文章→こちら

・その他の絲山秋子に関する文章
 『絲的メイソウ』については→こちら
 「みなみのしまのぶんたろう」については→こちら
 『ニート』については→こちら
 「ベル・エポック」については→こちら
 「へたれ」については→こちら
 「沖で待つ」については→こちら
 「ニート」「2+1」については→こちら
 『スモールトーク』については→こちら 
 『逃亡くそわたけ』については→こちら
 「愛なんかいらねー」については→こちら
 『袋小路の男』については→こちら
 『海の仙人』については→こちら
 「アーリオ オーリオ」については→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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