ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年09月12日
 北京ドール

 春樹(チュンシュ)というこの作家のものは、以前『すばる』に掲載された短篇を読んだことがあり、好感を持っていたので、その長篇作にあたる『北京ドール』も手にとってみた次第なのだが、しかし、中国の若い女性(作者は83年生まれ)が書いた、といった部分を、二次的な要素に回してしまうと、それほど特筆すべきところはないように思えた。学校生活を含めた日常にフラストレイトする10代のパンク・ロック少女が、バンド・マンを主とする様々な男性と出会い、セックス(性交)し、やがて相手の本質が安く、フェイクであることに失望する、という繰り返しにより、小説内の時間は進行してゆく。〈それにしても現実には失望させられる。男の人は生きることが大好きで、命への執着がすごい。そのことに私はぞっとしてしまう。何でそんなに生きたいんだろう?〉というわけだ。まあ、この世界のいたるところでサブ・カルチャーのうちに培われた様式の一種をまっとうしているだけともいえる。だから、作品のインパクトまたはエモーションやリアリティが、どこに由来しているのかというと、やはり、中国の若い女性が書いた私小説的な側面から、でしかなく、そのあたりをどう評価するかがそのまま小説の価値に繋がってしまっている、という意味では、よわい。じじつ、ここに書かれていることが、まったくのノンフィクションでありうる可能性を見たとき、つまり登場人物たちが実名だとすれば、たとえば別れた男性を罵倒するさいの具体的な事実の列挙は、たしかにセンセーショナルではあるけれども、それ以上の効果を読み手には与えない。とはいえ、自意識が先行しすぎるわけではなく、あくまでも〈私〉という主体が経験する出来事のほうをベースに置いた語りは、若さがナイーヴであることだけで特権化される、そういうだらしなさに対する、客観的な距離になっているようにも感じられた。さておき。僕はといえば、こういったものを読むと、逆説的にだが、佐藤友哉や金原ひとみの、その芸における達者さを再認識したりもする。

 「アタラシイ死」について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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