過去にも再三述べてきたとおり、我妻涼という発明は、00年代以降のヤンキー・マンガを左右するほどに大きく、大きかった。たとえば『ギャングキング』のピンコや『サムライソルジャー』の桐生達也などは、ほとんど我妻涼のヴァリエーションにさえ見えてしまうのである。この世界にはアウトローとして生きることを望むよりほかない人間が確かにいる。だがアウトローとして生きることは本当に幸せなのか。こうした問いは、差別や貧困を含め、生まれと育ち(遺伝と環境)の問題がしばしば取り沙汰される現在において、多分にアクチュアルであるのかもしれない。しかしてアウトサイダーの美学を一種の思想へと変換した場所に我妻涼のカリスマは立っており、高橋ヒロシよりも若いマンガ家に描かれたピンコや桐生達也がそれに続く。無論、社会性を高い倫理や豊かな成熟とイコールで考えていったとき、殺伐としたアウトサイダーの思想は否定されなければなるまい。すなわち、ピンコに対するアンチテーゼが『ギャングキング』の主人公であるジミーなのであって、桐生達也に対するアンチテーゼが『サムライソルジャー』の主人公である藤村新太郎なのであった。そして先駆的な『QP』では、キューピーこと石田小鳥がその役目を負っていたわけだ。
現時点でドラマ版『QP』は、キューピー抜きの『QP』というちょっとアクロバティックな物語を進んでいる。結果、ただのヤクザ劇なんじゃないの、の印象を免れていない。当然、それに忠実なコミカライズも同様だろう。この第2話「カーブミラー」に出てくる美咲元の兄は、ドラマ版『QP』の原作にあたる「死神を見た日」で、所謂世間の幸せを象徴するような存在だったのだけれど、ドラマ版とそのコミカライズ(ええい、ややこしいったらありゃしない)では、再登場の可能性は捨てきれないという保留を付けるものの、元の教育係であるヒコや我妻涼の対照としては、あまりよく機能していない。