ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年10月28日
 ハイエナ (ヤングキングコミックス)

 オビに花沢健吾がコメントを寄せているが、あとがきマンガからわかるとおり、単に作者と旧知である以上の意味合いを求めてはいけない。しかしそれを差し引いても、この藤原さとしの『ハイエナ』は、なかなかにホットでエモーショナルな作品だと思う。

 理性をベースに判断するなら、ギャンブルや色欲、遊び(だけ)のために止めどなく借金を繰り返し、自分の首を絞めていく人間は救いがたい阿呆だろう、と判じられても仕方があるまい。だがまあ、それじゃ話は終わってしまうので、心の闇や弱さをある種のエクスキューズに、背景を埋め、物語に相応しい重量を用意するのが、闇金融などを題材にしたフィクションのセオリーだといえる。そのとき、ウェットなパートを少なくすればするほど、ひりひりするような現実性が前面に出てくるのだけれど、『ハイエナ』には反対の印象が強く、もしかしたらそこからは古さがうかがえるものの、いやあるいはだからこその情け深さを得られるのだし、ホットでエモーショナルという観点を覗かせている。

 確かに、闇金融に勤める主人公は、〈人間信用するくらいなら闇金なんかやってるかよ〉と舎弟格のパートナーへ再三告げるように、一見すると非情なスタンスで業務を全うしているのだったが、各エピソードの中心となる債務者たちに彼が与えているのは、その手段はともかく、最終的に、もしくは本質的に、救済なのであって、これが場合によっては、甘い、とも、ぬるい、とも、やさしい、とも取れる決着を与えているのだった。

 おそらくはファンタジーとして見られるべき内容である。しかし、子供を持った風俗嬢が金を与えていたホストから捨てられる二話目の「幸福」に顕著なとおり、債務者が直接的に手渡されるのは、救済そのものではない。社会に人格を認められるぎりぎりのラインに踏み止まれるかどうか、の選択だろう。自分の人生の責任は自分にしか背負えない、という必然が突きつけられ、いかに応えるかによって、債務者の体温は測られており、それがまた作品本体の温度にもなっている。「幸福」の債務者は、自分の人生の責任を自分の子供に押しつけることもできたのだけれど、そうしなかった。そうしなかったことで、あらためて生き直すための機会に辿り着けているのだ。無論、いささかレディメイドな筋書きではあるものの、作者の構成力は、迫力に溢れた場面転換のあとで、救いがたかったはずの阿呆を許せるだけの慈悲を作り出している。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2011)
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