ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年03月08日
 『新潮』4月号掲載の短編。最近ちょっと思ったのは、90年代(「J文学」期と言い換えていいけど)の作家、たとえば阿部和重にしろ星野智幸にしろ角田光代しろ、が描く人物にはどっかダルさのようなものがあった。けれども、00年以降に登場した作家が描く人物には、それがないような感じがする。この本谷有希子の、過去の作品でいえば「生垣の女」など、そのサイコさんぶりや突飛なシチュエーションなんかは、初期の角田光代とそう変わりはないのに、もっとずっとテキパキとしていて、その分だけ殺伐としている。それはたぶん、自意識の問題と関わっている。でもって、世代的なもんじゃなくて、時代的なもんなんじゃないかな、と思う。90年代が殺伐の時代と呼ばれたときもあったが、00年代のほうがきっと殺伐とした時代なのだ。だんだんエスカレートしてる。未来に希望はないよ、という心情は、そういったところから生まれるのかもしれない。さて。「被害者の国」である。ある中学生が同級生を殺害する、「少年A」と呼ばれるその少年の動機がいったい何だったのか、あるいは動機なんてなかったのか、数年後、元「少年A」と知り合いになった「俺」は、それを知ろうとして彼に接近するのだった。これなんかも、昔だったら篠原一が書いてそうだな、という気がしないでもない。しかし篠原の描く少年たちもけっこう殺伐としていたが、それっていうのはナイーヴさの裏返しみたいなものであったのに対して、ここでの「俺」の行動理念は、かなり深刻なアパシーによって支えられている。内面の拒否というか、個人的な感情で人を殺すのはダサい、というところまでいってしまっているのだ。もちろん作者は意図的にそれをやっていて、物語中には「理由なき殺人」というイメージを巡るアイロニーが出来上がっているのである。相変わらず意地が悪い。とはいっても、まあ、本谷の小説としては、わりと普通の内容かな。ただ、これまでの作品と比べると、ずいぶん読み易くもある。

 『新潮社』のページにて冒頭立ち読みできるようです→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック