ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年08月31日
 『闇金ウシジマくん』を読んでいると、相変わらず真鍋昌平のマンガは登場人物に厳しいなあ、と思う。しかも、だ。自由意志というのがもしもあるのならの話になるのだけれど、しっかりと当人に、その生き方を選ばせた結果として、奈落に突き落とすのだから、泣きっ面に蜂でありながらも、まあ自業自得じゃんね、ということで、読み手は、あまり痛ましさを覚えない。が、しかし、そうした登場人物の愚かさを強調するあまり、同情や共感の回路を完全に絶ってしまうのではなく、そこへと至る思考や指向性の部分に焦点をあてることで、こちらの現実とあちらのフィクションとのあいだに接点をつくり、描写のレベルにおいては、執拗なリアリティは追求されていないように見えるにもかかわらず、ともするとエモーションすら発生させられていることに、ようやく気づいた。丑嶋と関わりを持つ人間はみな、金銭によってでしか、自己実現や自己確認ができない。あるいは、最初からどこにも存在しない自己というものを、金銭によりカヴァーしようとつとめる。たとえば、この5巻では、イベサー(イベント・サークル)の運営に四苦八苦する青年は、〈ありきたりのコト言ってンじゃねェーよ! 大切にしたい自分がねェから 俺は、無理して上がる努力をしてンだ!!〉と思ったりするし、売れっ子の風俗嬢は〈私には彼氏も、友達も1人もいねーし……〉という不安を、貯金残高を確認することで払拭したりもする。とはいえ、たしかに彼らの行動は浅はかであるし、間違っても褒められないけれども、ある意味で総病巣化したこの国の現代社会においては、ごく日常的な光景の一部とも捉まえられるし、その空漠と懐疑苦悶自体は、けっして特殊なものでもないのだが、そのことを重々に承知のうえでならば、すでに異常だとはいえるのである。

 3巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
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