ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年08月25日
 文学賞メッタ斬り!リターンズ

 『群像』9月号の書評欄で、大森望が、金原ひとみの『オートフィクション』を褒めているのは、そこで採られている、ある種のメタフィクショナルな構造を評価してかのことかと思っていたのだが、この豊崎由美との対談『文学賞メッタ斬り! リターンズ』を読むと、どうやら大森は、ほんとうに金原という作家のことを買っていることがわかり、へえ、と思う反面、この本では、金井美恵子を、『群像』の書評では、鈴木いづみを、引き合いに出し、その価値を語るのは、いささか持ち上げすぎのような気もする。ところで、ROUND 1にゲストで参加している島田雅彦は、海外の文学にちゃんと触れている若い作家に批評を書かせたら〈それなりにいいものを書けるんじゃないでしょうか。だけど、そうでない人たちっていうのは、一切書評もしないでしょうし〉といっているのだけれども、じつは、ここ最近の文芸誌の書評欄はまるで、若手の作家に、お小遣い(原稿料)をあげる場みたいになっていて、詰まらない文章(知り合いの作家の、作品について書くときの、あの身内トークなど)が多く、そういう現状を、僕個人は、あまりよく思わないため、ここのところの意図が、よく理解しづらかったのだが、それ以前に、作家に批評を書かせたら、その作家の批評性がわかる、というのは、もちろん本末転倒に違いなくて、問題は、ちゃんとした、それこそ文芸時評をやれる批評家がいない、あるいは、それをやれるであろう批評家(それにしてもさあ、佐々木敦や田中和生、仲俣暁生の文章って、いったい誰が必要としているのだろう)が起用されないせいで、こちら読み手に、その作家の書いた小説のうちにある批評性が取り出され、提出されない点にこそあるのではないか、と思った。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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