ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年08月20日
 表現したい人のためのマンガ入門

 しりあがり寿による『表現したい人のためのマンガ入門』のなかで、じっさいにマンガを描くさいのテクニカルな問題に触れているのは、第4章(20ページ弱)ぐらいで、それ以外は、創作にあたるさいの精神的というか考え方というかアティテュードの部分に関する面が述べられており、マンガに限らず「表現したい人」全般に汎用性の高い内容になっているとは思うのだけれども、「しりあがり寿」という、どちらかというとレア・ケースのマンガ家が何かを提示するにしたら、やや一般論めいたものにまとまってしまっている感じがあり、どうなんだろう、すくなくとも僕は、それほど刺激的な内容を持っているとは受けとれなかった。新書という性質上か、おおよその論旨は、序章の部分にまとめられている。〈「作品」と「商品」、どこがどう違うのでしょう? ボクはその違いを「良し悪しを誰が評価するか」によって分けています〉という。そして「作品」とは〈あくまでもその評価は「自分」、つまり作者本人が下すもの〉であり、〈では「商品」を評価するのは誰でしょう。それが市場であり、マンガの場合は読者〉なのであり、それは、〈それそのものの持っている価値だけでなく、相対的に変化する〉のだから、〈市場が変わればまた評価が変わる〉可能性がある、そうした枠組みのなかで、いったい何を意識し、創作または表現に向かうべきなのか、が全体を通じ、しりあがりがいわんとするところであろう。要するに「作品」とは内在する価値を指し、「商品」とは市場あるいは情報を経由してこそ生じる価値であるとして、「作品」から「商品」への媒介となるブランドイメージやマーケティングを中心に話が進んでいけば、なんとなく80年代ベースな指向である気もするが、じじつ第7、8、9章らへんは、ちいさく切りとられた、しりあがりふうの80年代論として読めなくもない。そのなかで、やはり僕個人が興味深かったのは、たとえば〈九〇年代に入って考えたのは、思いきり暗くて深刻なものを描いてやれ、ということ(P149)〉とか、〈八〇年代が終わってなんとなく挫折感を味わった後、一度は内面的なことや自分的なことにもぐりこんで遊んではいたけれど(P180)〉といったあたりで、そうした〈九〇年代のテーマ〉は、しりあがり個人にとってというよりは、90年代の、または90年代以降のサブ・カルチャー表現におけるテーマであったのであり、僕なりに言い換えると、そのようなエモーションの問題すらも、見事に商品化されたのが90年代だったのだから、そのことを踏まえずに、ただ思春期的な自意識を振り回して青春とか絶望とかをやったところで、そこにあるリアリティなんてたかが知れているようなときに、では、何をどうすればいいのか。今日、すくなからず自己実現(って結局、サラリーマンの出世欲といっしょでしょう、だいいち島耕作だってレーゾンデートルぐらいは口にする)以上のものを念頭に置き、「表現したい人」たちにおいては、じつはそのことこそを深く考えるべきなんじゃねえかしら、と思う。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(2) | 読書(06年)
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表現したい人のためのマンガ入門/しりあがり寿
Excerpt: 表現したい人のためのマンガ入門/しりあがり寿 この本はあくまで「マンガ入門」であって「マンガの描き方入門」ではありません。
Weblog: 仮想本棚&電脳日記
Tracked: 2006-09-05 23:54

表現したい人のためのマンガ入門
Excerpt: 表現したい人のためのマンガ入門
Weblog: 忍者大好きいななさむ書房
Tracked: 2009-06-22 02:34