ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年08月19日
 パラパル 3 (3)

 あ、ものすごくおもしろい、という以上の感想がうまく引き出せないぐらい、おもしろい、石田拓実『パラパル』の3巻である。自らを宇宙人だと名乗る存在ハナが、その脳内に入り込んでしまったため、ふつうの人間以上の嗅覚を手に入れてしまった小牧は、同じ理由で、聴覚の鋭くなった鶴見と親しくなるが、ふたりのあいだに、はっきりとした恋愛の感情は、まだない。そうした微妙な関係は、触覚の冴えわたった莉花や、味覚の発達した四条を仲間に加えることによって、ゆるやかに変化してゆくのだった。また一方で、彼女たちを観察するかのような蓮沼という教師のことを、ハナは、その素性を正確に知らないまでも、特別な個体として認識しはじめる。といったストーリーの流れを追ううちに、登場人物たちに課せられた設定が、けっして不自然なものではないことに納得させられたうえで、男女間の交流が、フィジカルというかセクシャルであることを前提しながら、それ以外の、もうちょい抽象的であるがゆえに安易にイデオロギー化されない、だからこそ特定の個人対個人のあいだで、希望や可能性となりうるものを描き出そうとしているところに、このマンガの利点はあるのだ、といえる。たとえば、他の人間との接触は不快だと感じるようになってしまった莉花は、唯一〈鶴見くんにさわるのは気持ちいい〉と思いながら、しかし〈とても気持ちいい でもなぜか最近は さわればさわるほど 余計に足りない気がするようになってきてて それが少し嫌だった〉〈一体何が足りないのか どうして足りないのか そんなの知らない わからない〉と考えるのだけれども、その「何か」が「足りない」といった言葉に、表現の力点がかかっているのではなくて、そうした言葉をいわせるエモーションのほうに、それはかかっているのである。したがって「何か」が、具体的に何であるかは、作中に示されることを必要としないし、また「足りない」ことが、マイナスにポイントされる欠損である、といったふうに読むこともない。ここまでの物語においては、性差(セックス)を性交(セックス)により安易に誤魔化すことを避けつつ、異性を意識する恋愛を恋愛と規定せずに恋愛として描くことの二重性が、作品を盛り上げる大きな要となっている。


 2巻について→こちら
 1巻について→こちら 
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのTrackBack URL
http://blog.seesaa.jp/tb/22533521