ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年08月07日
 東京フレンズTHE Movie

 もともとはDVDドラマであった『東京フレンズ』の小林ユミヲによるコミカライズの、今度は映画版のコミカライズにあたる『東京フレンズ The Movie』である。DVDドラマは観たときないし、映画はまだ公開されていないので当然観ていないのだけれども、これまでに出ている3巻分のマンガだけは読んでいる立場でいわせてもらえば、純粋に単行本の4巻という位置づけで受けとってしまって構わない、と思う。じっさいにマンガ版『東京フレンズ』は、3巻の時点で物語はどこにも着地していなかったので、これは続編というよりは、完結編という内容となっている。メジャー・デビュー直前に、メンバーの不祥事のためにバンドを解散せざるをえなかった隆司は、その挫折から立ち直れずに失踪してしまう。その別れた彼女であり、元バンド・メイトである玲は、隆司の姿をニューヨークで見かけたという知らせを受け、単身海を渡るのであった。そうしてニューヨークでの、玲と隆司の再会を描いたのが、この『東京フレンズ The Movie』というわけなのである。まあ、『東京フレンズ』という題名からしてあれなのだが、話の筋もどうってことはない、自分探しふうに東京へ出てきた女性が、夢を見つけ、恋人や友人たちと出会い、別れ、成功と挫折を味わうといった、ステレオタイプな運びで、それが今度は、別れた恋人を追ってニューヨークへ旅立つというのもどうもね、といったところなのだが、個人的には、こうした上京の物語が、消耗され尽くされずに、いつまでも再生産され続け、ある程度は有効であることの背景が気にかかる。どういうことかというと、たとえば日本中が総郊外化されつつあるとか、あるいは都内と地方の流通や情報の格差はなくなりつつあるとか、そのような言説からはこぼれたところに、こうした上京の物語が発生するのではないか、という疑問だ。また一方で、小倉千加子と中村うさぎの対談集『幸福論』のなかで、東京郊外に生息するヤンキーに触れ、彼らがけっして地元から出て行かず、その閉塞感のなかで欺瞞的に満足していることが指摘されているけれども、それをもしも不幸だとすれば、上京の物語は希望になりうる可能性がある。が、その希望は、東京に行けば幸福になれるかもしれないといった言葉における「かもしれない」の不可能性に囚われたとき、金銭や交通手段の面とはべつに、メンタルな領域でハードルの高いものとなる。「ここではないどこか」を目指す物語のヴァリエーションとして、おそらく上京の物語はある。しかし、なぜにそうしたフィクションやファンタジーが、未だにこの国で商売として成り立ちうるのか、僕の関心はそこに高いのだった。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
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