ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年02月26日
 読むそばから忘れていっても―1983-2004マンガ、ゲーム、ときどき小説

 副題には「ゲーム」と「ときどき小説」とあるけれど、主にマンガに関するエッセイを集めたものである。とはいえ、前半の部分はけっこう他のエッセイ集(書評集)と重複しているし、中盤はインタビューであったり対談であったりするので、内容としてはかなり散漫なのだけれども、まあ、全部がぜんぶ文学に回収される問題なのだとしたら、いつもの高橋源一郎として一貫しているといえる。というか、これを読んで思ったのは、ほんとうに高橋は、いわゆる『週間少年ジャンプ』的なマンガが嫌いなのだなあ、ということだった。たぶんルーティン化された物語みたいなもの、あるいはステレオタイプな形式が好みではないのだろう。それが結果として、メタ・フィクション的な思考や嗜好や志向を生むわけか。ある意味ではその実践が、この本に収められた80年代時の未発表短編小説「無名の…たちがたどる冒険、愛、日常等に関する報告書」(正式なタイトルは、おそらくドット絵を模した記号が使われているため表記できない)である。「あとがき」で述べられているとおり、『優雅で感傷的な日本野球』に一部は取り込まれたが、しかし一部はオミットされてしまったものの原型となっている。『優雅で感傷的な日本野球』で読めるところ以外がどのような内容であるか、じつはそれについては、この本に収められた「「たけのくん」のゲーム」というエッセイの2節目がうまく説明してしまっている。要するに〈メタ・フィクションの作家の強い虚構意識に負けないほどテンションの高い虚構意識の持ち主が小説とは関係のないところに発生しだしたんだ。そういうニュータイプの連中は、虚構意識の強さという点ではメタ・フィクションの作家と共通しながら、実は「合致点が見出せない」んじゃないかと思う。虚構に対しての接し方が違うんだ〉という風なことが小説として書かれているのである。でもって、それは現代からみれば、大塚英志が「物語消費」や大きな物語の消滅、そしてサブ・カルチャーと文学云々いっていることと、どこかで通じているようにも思えるのだった。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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