ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年07月26日
 ソロモンの歌・一本の木

 講談社文芸文庫『ソロモンの歌・一本の木』は、表題になっている二篇を含め、吉田秀和のエッセイ調の文章を集めたものであるが、そのうちでもとくに「中原中也のこと」と「小林秀雄」を目当てにして読んだ。「中原中也のこと」に関して、かつて江藤淳は時評のなかで〈この吉田氏の回想文は回想としても批評としても近来の名文章で、小林秀雄氏の「中原中也の思ひ出」や大岡昇平氏の『朝の歌』に匹敵する地位を主張しうるものである〉といっているけれども、なるほど、小林や大岡と同じように中原と交流のあった吉田が綴る文章は、詩人の、詩人である以前に人間としての、在りし日の姿を、こちら読み手の眼前へと立ち現わせる。吉田は〈私は「詩人」についての思い出などあまりかきたくない〉〈小林秀雄がどこかにかいていたが「上手に思い出すことは、むずかしい」。ことに、詩人についての思い出は、上手にやるのではなくては、単に正確か不正確かというだけでなしに、まるで意味がなくなってしまう〉と書いている。そうして続けられる回想は、ひとりの人間がひとりの人間と出会った、あるいは、ひとりの人間がひとりの人間を喪った、そういう情緒に浸るが、溺れることはなく、あくまでも書き手が、自分の属する此岸から、そして此岸へと泳ぎ、戻り、帰る過程なのである。22歳の中原との交流がはじまったのは、吉田が17歳、高校1年のときであった。〈中原は、こんな若さで人生の遍歴をあらかたすごしてしまったみたいな口のきき方をした〉。〈結果的にいえば、彼には、二十二歳にしてすでにあと七年の生命しか残されてなかった〉。個人的に興味深かったのは、次のような箇所である。〈中原は、日本の俳句や和歌や近代詩について「どれも叙景であって、歌う人の思いが入ってないからだめなんだ」とよくいっていた〉とある。今日においては、これは逆さまで、叙景ではなくて、歌う人の思いが入っている(かのように感じられる)ものが好まれる。エピソードとしておもしろいのは、やはり、中原と小林の単純だが複雑で奇妙な関係が、文章の向こうに透けて見える場面であろう。吉田は、中原の住まいで、小林が翻訳したランボーの『地獄の季節』を発見することになる。そこで衝撃を受けた吉田を見て、中原が小林を評する言葉に、嫉妬だろうか、等身大の感情が込められているように思う。中原の生々しい像が想起される。〈私は、たしかに中原に会ったことがあるにはちがいないが、本当に彼を見、彼の言葉をきいていたのだろうか? こういう魂とその肉体については、小林秀雄のような天才だけが正確に思い出せ、大岡昇平のような無頼の散文家だけが記録できるのである。私には、死んだ中原の歌う声しかきこえやしない〉として捉まえられた、こうした文章のうちに宿されたエモーションはいったいどこからやって来ているのだろうか。ここに収められている「音楽とわが青春」という篇のなかで、〈青春は、なんといっても、誕生や死と同じように、人生での最大の意味をもった出来事の起こる時期〉だといわれている。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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