ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年02月25日
 新海誠のアニメーション、『ほしのこえ』のコミカライズ。絵柄はだいぶ違うが、ストーリーはほぼいっしょである。宇宙生命体タルシアンの調査メンバーに選ばれたミカコと、平凡な高校生活を送るノボルの恋の物語。宇宙と地球、離れ離れになったふたりは、携帯のメールによってお互いの存在を確かめるのだけれども、ミカコの乗る宇宙船が、火星から木星、木星から冥王星のずっと先、そこからさらに先へと進むにつれ、メールの到着所要時間はだんだんと長くなってゆく。そうした時差のなか、ノボルは、彼女の存在が不確かなものになってゆくのを感じ、とうとう待つことをやめてしまうのだった。「ねえノボルくん……」とはじまるミカコのモノローグは、やはり切なくて、僕の涙腺はそこでぐわーと緩んでしまう。さて。アニメ版では、ミカコとノボル以外ほとんど登場人物は存在しないが、このマンガ版では、何人かの脇役が用意されている、そこいらへんが大きく違うといえばいえるし、ある意味ではノイズとなっている。もちろん、それが良いノイズなのか、悪いノイズなのか、という話である。それが大きく作用して、終盤の印象がずいぶんと違っているようにも感じられる。『ほしのこえ』の物語は、基本的には、「きみとぼく」の関係性によってのみ成り立っている。アニメ版において、ミカコとノボル、ふたりの関係は、主体と他者以上のものにはならない。ふたりの想いがオーヴァーラップしたとしても、その間にある現実的な距離が縮まるわけではない。そこが切ない。自閉的であるかもしれないけれど、その自閉性が感情移入のキーとなっているのである。だが、このマンガ版において、他の登場人物が存在していることは、たぶんミカコとノボルそれぞれの固有性を強調する役割を持っているのだろうけれども、主体と他者の間にある距離感、物語の主題に深く関わっている部分を、薄ぼやけさせてしまっている。それは、じつはマンガ版のラスト・シーンにも反映されていて、現実的な距離を詰めることが、ふたりの関係を保証するという、そういう安易な帰結を導いてしまっている。もうちょっと言い換えると、関係の不可能性が前提に置かれていたのがアニメ版だとしたら、関係の可能性を前提に置いているのがマンガ版だということである。もちろん、どちらが正しいのかは一概にはいえない。表現形式の違いによる差異だってのもあるだろう。マンガ版はマンガ版として、おそらくアニメ版を観ていない向きも、十分に感動できる内容に仕上がっていると思う。が、しかし、不可能性が完全に消去されてしまうマンガ版のラストは、たしかに希望を感じさせるものであるけれども、この時代における恋愛の物語としてみたときに、どこか後退があるのではないかな、という気がしないでもないのだった。


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ。
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