ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年07月13日
 愛を海に還して

 小手鞠るいという、この作家のものははじめて読む。帯には、角田光代が推薦を寄せているのだが、これはちょっと、甘過ぎだあ。ビター・スウィートな恋愛小説なのだろうけれども、本来ならば、そのビターであるべきところも、たとえば〈泣きながら手紙を書き、何度も書き直して、やっと書き上げることができた時には、涙は涸れ果てていた。そのせいで、わたしの躰は砂漠のように乾き、悲しみは胸の内で無数の砂粒になっていた〉といった具合に、自己憐憫にまみれた、ひどく甘ったるい言い回しによりコーティングされているので、文章を噛み砕いているうちに、味覚がおかしくなるかと思った。当然、お約束はすべからく果たされるべきだとして、『愛を海に還して』という題名や、あるいは物語の序盤で予感されるとおり、登場人物のなかの誰かが、やはり、お亡くなりになるのもまた、ラジオ・フレンドリーなスロー・バラードみたいで、居心地が悪くもあるのだが、しかし、そういうのが大好きな向きもすくなからずいるのだから、喪失と感傷をうたうだけで成り立つ愛の歌は、飽きられることなく、次から次へと生産される。さて。仕掛けというほど大げさでもないが、32歳の〈わたし〉が、過去を回想するかたちで、この小説はつくられており、かつては一冊の本を書き上げることを夢見た、その彼女が〈いつか、再び、わたしが何かを書くことがあるとすれば、それは昔語りになるだろう〉〈そうして彼は、わたしの声を聞く〉〈ページの中から、わたしは彼に呼びかける〉〈ただ、その瞬間のためだけに、わたしはその物語を書くのだ〉〈ただひとりの人に読まれたくて〉というふうに、ここに編まれた物語それ自体が、あたかも語り手の主体性を保証するかのような、そういう記述のなされ方によって、ある種のエモーションが形成されているのかもしれないけれど、その言葉に、もちろん皮肉でもって従えば、ああ、そうか、結局のところ、これは特定の人間にのみ向けられているものなので、それ以外の人間、つまり僕という読み手がげんなりしてしまうのも、まあ仕方がないことなんだろうね、というわけである。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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