ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年05月24日
 ギャングキング 21巻 (ヤングキングコミックス)

 やはり柳内大樹の本領は、ポジティヴ馬鹿を魅力的に描くこと、にあると思う。『ギャングキング』の21巻である。いささかテーマ主義的であった「ワークマンズ編」やジミーとピンコによる二度目の対戦を経、作品は再び学園レベルのロマン(国盗り合戦、軍記もの)に回帰する。しかし物語はいったん主人公であるジミーと薔薇学を離れていき、舞台をサワ校(小金沢高校)に移す。そこで登場し、活躍するのが、バンコと旧知のハマーであって、奴のすばらしきポジティヴ馬鹿シンキングっぷりに作者の持ち味がよく出ているのだった。

 たとえば、ハマーの屈託のなさを前にバンコはこう思う。〈……… そうだ……… 忘れてたぜ…… 俺の中で…… 昔から……… 今まで出会った……… 誰よりもデケエと思った人間…… マッスルくんと……… 竜針さん………(引用者注・ジミーのカットが入る)……………… そして…… 誰よりも当たり前に生きている……… おまえだったな… ハマー……〉と、つまりは『ギャングキング』の良心とでもいうべき人物たちに匹敵するだけのカリスマが彼に備わっていることを暗示しているのだったが、いや実際にハマーの決してふてくさらない態度は、ここ最近続いていたダウナーな展開を払拭している。

 そしてもしかすればそれは、ジミーの存在感からじょじょに失われつつあったものでもある。またおそらく、ジミーと距離を置こうとしているバンコが再会したハマーに見出したのも、それであろう。

 テーマ主義的なアプローチにおいて柳内がキーとしていたのは、過去にもさんざん述べてきたとおり、想像力、の問題である。この世界が不可避に暴力を孕んでいるとするとしたら、想像力を張り巡らすことでしか人は悲劇と渡り合えないのではないか。想像力を手放さないことはア・プリオリな不幸を生き抜いていくことでもある。このような解釈が可能である認識はまず、ギャングの王を目指すピンコの言動に顕著であったといえる。とくに20巻でピンコがジミーに述べている主張は総合的だ。

 いわく〈どいつもこいつも………… 『現実的に守りきれない』という理屈だけだっ… イメージ(想像)がたりないんだ……! おまえは…… 人間の持つ… 本当の“狂気”を知ってるか……? 俺は知ってる……… つもりだ……! ………アウシュビッツがいい例だ… ボタン一つで何十人も殺せるガス室… 鼻歌まじりで子供を殺す奴… 死んだ者の金歯を抜いて金に換える奴…… まるで羽毛布団のように死んだ者の髪の毛を集めて作られた布団… 銃を向けられ『助けてくれ 撃たないでくれ』と懇願する者の目を見て笑いながら殺せる奴…… そんなの信じられるか……? けどそれは… ついこの間までパン屋だったオヤジや教師や学生だった奴等が…… 戦争勃発とヒトラーというカリスマの出現により実際に行われていたことだ…… そんな普通の人間だった奴等が…… なぜそんな残酷なことができるように変わっちまったかわかるか……? それは人間がイメージを遮断できる生き物だからだ… 自分の精神を守るためのイメージの遮断…… その“イメージ(想像)の遮断”こそが…… すべての自分自身の『不幸』に繋がってるとも知らずに……〉

 イメージを遮断してはいけない。想像力を捨ててはいけない。はたして自分たちが暴力団と同等の扱いを受けることも厭わぬピンコとチーム「ジャスティス」の脅威が正当化されるかどうかの判断はつきかねるが、その倫理に全くの説得力がないわけではなかった。一方で注意しておきたいのは、ピンコに代表されている想像力はあくまでも、暗いもの、としてあらわれていることにほかならない。先の場面で、ジミーに〈…… そこまでわかってて……… なんでおまえは不幸なんだ………?〉と問われたピンコが〈……… じゃあ俺は… イメージするのがあまりうまくないのかもな…〉と答えているのを看過してはならない。

 もしも想像力に、暗いもの、と、明るいもの、があるとすれば、『ギャングキング』のなかで、前者はピンコに象徴されている。では、後者に見られるべきは誰か、といったところで、もちろん本来なら主人公のジミーが引き受けてもよさそうな役割を代替することになったのが、たぶんハマーというカリスマである。

 『ギャングキング オフィシャルキャラクターブック UNDERCOVER』に収められた田中聖との対談で、田中が好きな言葉に〈やっぱり「イメージしろよ」かな〉と挙げているのを受け、柳内はハマーについて以下のような発言をしている。〈ああ…。「イメージはリアルを超える」って最近はホントそう思ってる。ハマーってキャラクターは、ヒドイ目に遭ってるからすごいんじゃなくて、イメージする力が強いんだよね。俺の周りにもいるんだけど、ヒドイ目に遭ってもないのに、人の辛いことが誰よりも理解できる人や、優しい人を見ると、「イメージにはかなわねえな」って思う〉

 そこにはピンコとハマーの差異がはっきり浮かび上がっているように思う。要は、〈ヒドイ目に遭ってるからすごい〉イメージを持てているのがピンコだとしたら、〈ヒドイ目に遭ってもないのに〉イメージを強く保てているのがハマーなのであって、暗い想像力と明るい想像力の違いも、その一点で区別されている。かつて恋人が強姦(レイプ)されそうになったせいで社会への懐疑を抱いたピンコと、見ず知らずの女性が強姦(レイプ)されそうになっているのを助けたことから夢を追われたハマーの存在は、ある種の対照になっているのだろう。

 当然、おいおい、じゃあジミーの役割は何なんだよ、という話ではあるけれど、以前の段階を、想像力を持たない者と想像力を持つ者のあいだを行き来する存在だったとするのであれば、現時点では、暗い想像力と明るい想像力を行き来する存在になっている、と仮定することがさしあたりはできるし、最近のジミーときたらどうも中途半端だよね、と思われてしまうのも結局はそのためであった。

 20巻について→こちら
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・その他柳内大樹に関する文章
 『ドリームキングR』(原作・俵家宗弖一) 
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら 
  3巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『新説!さかもっちゃん』1巻について→こちら
 『スマイル』(永田晃一との合作)について→こちら
 『柳内大樹短編集 柳内大樹』について→こちら
  「バンカラボーイズ」について→こちら
  「オヤジガリガリ」について→こちら
 『ドリームキング』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2011)
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