ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年07月05日
 夢で逢えたら (1) 夢で逢えたら (2)

 なぜか集英社ではなくて、メディアファクトリーから文庫化された山花典之のマンガ『夢で逢えたら』であるけれども、たしか90年代の連載中にHANAKO(旧・山崎花子)から、現在の山花典之に名義が変ったのではないか、と記憶している。基本的には『めぞん一刻』ふうな、ヒロインというよりもマドンナといったほうが相応しい女性をめぐるラブコメであるが、いま現在の視点で読み返してみると、今日の『電車男』的な純愛のモチーフ、モテない男譚と大きく重なり合う部分があるようにも思う。生まれてから24年間彼女のいないフグ野マスオは、そのような境遇から脱するべく、お見合いパーティに参加する。そこで嫌々友人に連れられてきた潮崎渚を見初める。マスオからすれば、まさしく天使のように見える渚の場合は、その容姿に恵まれながらも、あまりにも純情であるために、これまで男性と付き合ったことがなかった。かくして出会ってしまった奥手なふたりの、ゆっくりで紆余曲折な恋愛劇が、ここに幕を開けるのであった。おもしろくなるのはマスオの会社の後輩である浜岡が、マスオに対して恋心を抱くようになる、要するに、三角関係調のドラマに発展してからで、ここでマスオのチャーム・ポイントとなっているのは、彼の生真面目で優しいキャラクターだということになっている。たくさんの男から言い寄られる渚が、その異性のなかでもとくにマスオを意識してしまうのも、また同様の点においてである。つまり、ひとつには男はルックスじゃないよ、といった感じのメッセージが、そこには託されているわけだけれども、たとえばそれが一時代前であったならば、それこそ寅さん的な「男はつらいよ」といった硬派の像に結びつくことがありえたとして、マスオの場合はとにかく、情けなさの裏返しでしかないということだ。この文庫版でいうと2巻の中頃で、『ときめきメモリアル』みたいなギャルゲーをプレイしているが、べつにマスオはオタクというのではなくて、ごく普通に一般のサラリーマンである。時代的なことをいうと、マスオと渚が知り合うきっかけとなったのは、お見合いパーティであったように、90年代初頭のいわゆる「ねるとん」式な措置というのは、ある側面だけを見れば、その当初には、モテない人々を救済する役割を果たすためにあったように思う。しかし結果的には、モテない人々のあいだにさらなるヒエラルキーをつくり出してしまった。まあ出会いの場が設けられても、それをいっさい生かすことのできない人間というのは、まちがいなく一定数いるからね。そこから時代が進んで、もはや恋愛へと発展しうる、理想の女性との出会いそれ自体がラッキーなフィクションなのだという思考にまでいったのが、たとえば『電車男』なのであり、『電車男』の主人公にはそれなりのルックスや年収があったことを踏まえたうえで、ニーチェの思想などを持ち出しヒエラルキーそのものを否定すべく発生したのが、たとえば『電波男』のような思想なのだ、という見方もできるかな。などと本題とはぜんぜん関係のないところで、適当に考えさせられた。いや、このマンガの内容に関しては、マスオの挙動不審ぶりがとても他人事とは思えず、己を省みながら楽しく読んだ。


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。