ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年07月03日
 〈「ハビタブル・ゾーン」は、「居住可能領域」という意味らしい〉〈私は勝手に、「人並みに生きていける領域」と解釈していた。そっちのほうが、ずっと言葉の響きに合ってる気がした〉〈今、私がいるのは、ハビタブル・ゾーンの内なのか外なのか〉。このたびリニューアルした『en-taxi[エンタクシー]』誌VOL.14からはじまった、生田紗代の連作小説の第1回「ハビタブル・ゾーン」、これが小説全体の題名なのか、第1回に付せられた題名なのかはちょっとわからなかったのだが、それを読んでひとまず僕が思ったのは、ぼちぼちこの作家の最初のほうの作品を読み返してもいい頃なのかもしれないな、ということであった。というのも、雰囲気としては、ここ最近のものよりも、ずっと以前のものに近しい、そう感じられたからだ。過去ログを辿ればわかるのだけれど、今でこそ熱心に読むが、僕は昔に、生田に関しては、あまり好意的な評価を持っていない。いや、なぜそんなことを書いたかというと、そのような一個の人間のなかで時間が蓄積されてゆく、そうして形成される相対的な視線が、ひとつには、この小説の主題に噛んでいるのではないか、と考えられるからである。〈私〉は新卒で入った編集プロダクションを辞め、今は求職の最中を漠然として暮らしている。しかし、新しい仕事はなかなか見つかりそうもないので、千葉の実家へ帰ろうかと思うのだけれども、部屋をシェアしているルームメイトの金銭的な事情を考えると、べつに仲が良いというわけでもないのに、それも先延ばしになってしまう。そのような日々のなかで、なぜだろう、誰一人友人などできず、けっして馴染むこともなかった〈本当につまらない、空白のようにぱっかりと浮いた三年間〉であるような、高校のときのことが思い出されるのであった。自分対世界という二項の、自意識の強まった語りは、いや、だからそれが若書きともいえる初期の頃の作品を想起させたりもするのだが、先ほどもいったように、時間の蓄積のうちで相対化され、〈私〉自身によって批評され、思考されることで、たんなる描写ではない、そこから長じたものになっている。同様に、相変わらず料理の捉まえ方は味気ないのだが、しかし、たとえば冷凍のパスタを食している場面で、〈味付けがしょっぱすぎる。それでも私は冷凍食品の可能性を信じているので、不満ではなく、頑張れよ、という気持ちになる〉という言葉が付け加えられることで、その味気なさそのものが、一段階上の表現や記述へ、ちゃんと持ちあげられているようにも思う。いま現在に〈私〉が生きているのは、フィッシュマンズや中村一義の歌が、昔のものとして聴こえる世界である。もちろんのように、そこでうたわれている気分や感情すらも過去のものとして感じられるとき、では、その未来にいる〈私〉はいったい何を望んでいるのだろうか。たとえそれを明瞭に、うまい具合には把握できないにしても、〈馬鹿馬鹿しいほど真面目に考えてみる〉ことには、きっと、何かしらかの意味はある。

・その他生田紗代の作品に関する文章
 「なつのけむり」について→こちら
 「私の娘」について→こちら
 「雲をつくる」について→こちら
 「なすがままに」について→こちら
 「まぼろし」について→こちら
 「ぬかるみに注意」について→こちら
 「十八階ヴィジョン」について→こちら
 「タイムカプセル」について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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