ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年07月02日
 ドラママチ

 待たされるといわれれば、たしかに象徴的ではあるな。ここに収められた8編のどれにも、喫茶店が重要な場として現われている。角田光代の『ドラママチ』は、じっさい自分の身にやってくるかどうかはわからない何か、そうしたものの到来をそれでも待ち続ける女性たちを捉まえた短編小説集である。彼女たちはみな、半径5メートル圏内の諸事情により、ストレスをいっぱいにし、フラストレイトしている、あるいはフラストレイトさえし損なっているのだが、では、いったいそれをどうやって処理すればいいのか、適当な落ち着かせ方も知らない。そのために怠い閉塞のうちを漂う羽目になっている。とすれば、もしかすると彼女たちの待ちわびている何かというのは、自分たちをカタルシスさせてくれるような、そういうポイントのことを指すのかもしれないな、と思う。いや、一般化してしまえば、おそらくはそのような見方こそがもっとも妥当なのだけれども、角田がよいのは、それを、登場人物たちに固有なエモーションとしてピントをしぼっていくところだ。たとえば、ここに収められた「コドモマチ」という小説は、この作者の作品にしてみたらけっして珍しくはない、ストーカーものだといえるだろう。そこでの語り手である〈私〉がストーキングを行うのは、夫の浮気相手に対して、である。が、しかし興味深いのは、〈私〉が、悪意とでもいうべき情念に従って、そうしたアクションを起こしているのではない、ということだ。それはどちらかというと、〈私〉の癖というか、性質のようなものに近しく、夫の浮気相手をつけ回したところで、とくに危害を加えたいという欲望は有されていない。もうすこしいうと、〈私〉のなかには、夫の浮気相手は夫の恋人なのであり、〈私〉はといえば夫の恋人ではなくて妻である、といった棲み分けができていて、それらはどうも気分的には衝突をしていないみたいでもある。事実、〈私〉が結婚以前に付き合った男性は一人残らず浮気をした、そのたびに彼女は自分のネガティヴな感情を処理するために、相手の女性を突き止めたりするわけだが、今回の、夫の場合は違う。たしかにいつものとおり、浮気相手を調べ上げる真似はしたけれども、それは〈今までに感じたような、始末に困るような嫉妬や、立ち去られるかもしれないという焦燥感、裏切り行為に対する腹立ちや失望〉があったからではなくて、まあだから要するに癖のようなものなのであって、結局のところ、心のうちからは〈何も、たじろぐほどなんにも出てこない〉。こうした空漠をもって、一概にレアなケースだとは判ぜられないけれど、すくなくともそれは、「コドモマチ」というフィクションの内部に、〈私〉という独特で生々しい感触をあてがう作用を果たしている。彼女の置かれている、宙吊りの状態が、浮き彫りにされているのであった。全体に共通して描かれているのは、すべてを望むにはもはや若くないが、ぜんぶを諦めるほど年老いてもいない、そのような女性の像だ。生死に関わるぐらいの、過剰にシリアスな問題を抱えているわけではない、にしても、目の前の現実は、深刻に、これから先の人生を考えさせる。そういう物語群のなかで、個人的にはとくに、姑との確執を扱った「ワカレマチ」、そこでの喫茶店におけるスタティックかつパセティックな一場面に、すばらしさを感じた。

・その他角田光代の作品に関して
 『おやすみ、こわい夢を見ないように』については→こちら
 『ぼくとネモ号と彼女たち』については→こちら
 「ロック母」については→こちら
 『酔って言いたい夜もある』についての文章→こちら
 『いつも旅のなか』についての文章→こちら
 『人生ベストテン』についての文章→こちら
 『対岸の彼女』についての文章→こちら
 「神さまのタクシー」についての文章→こちら
 『庭の桜、隣の犬』についての文章→こちら
 『ピンク・バス』についての文章→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書(06年)
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Excerpt:  副題は「会社を休んで59日間 地球一周」とある。 大学を出てフリーターをしながらお金を貯め小さな会社をつくった30代後半の男。一生懸命働くものの不景気も手伝い気持ちは空回り。ちょっとした出来事がきっ..
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