ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年05月08日
 やまちち(1) (AKITA COMICS DELUXE)

 とにかく二話目が最高だし、おそらくは傑作だろう。しかし誤解を与えてはいけないのだったが、それはあくまでも二話目(第2話「水に流して」)に関してのみ言っているのであって、他のエピソードについては、まあね、程度の感想しか持たない。では、二話目と二話目以外のエピソードでは一体何が異なっているのか。これを述べることはそのまま吉沢緑時『やまちち』1巻の読みどころに触れることになると思われる。

 基本、このギャグ・マンガのギャグは、ディスコミュニケーションを患った人間の一方的な発信がはからずもコミュニケーションに届いてしまう、という意図せざる状況の可笑しさによっている。つまり、それが最もよく出ているのが二話目なのである。

 ヒロインのどかは、母親の事業が安定するまで長野に住んでいる祖母のもとに預けられることになった。小学生の身にしてみれば、それはたいへん寂しいことだ。また、都会にいた頃から内気な性格のために友達がいなかった彼女が新しい環境に不安を覚えるのも仕方がない。そこにつけ込んでくるのが妖怪のやまちちである。マイナーな妖怪であるやまちちは、インターネットで自分の検索数=知名度を上げるべく、のどかを利用することを企むのだった。

 のどかだけがやまちちの姿を見られる。したがって、やまちちだけがのどかに積極的なコミットメントを見せる。この関係性が『やまちち』の本質とコンセプトを支えているといえる。のどかとやまちちの繋がりは、社会からつまはじきにされている存在同士であるという点に由来しているのであり、両者と共同体との対照がある種のギャップを浮かび上がらせながら、そのギャップをのどかとやまちちのコンビネーションがエスカレートさせていくなかにギャグの色合いが強まっているのだ。

 換言するなら、のどかとやまちちのコンビネーションは異化効果に近しい役割を持っているのである。そして、両者の立ち位置をプレゼンテーションするにとどまらないそのコンビネーションに『やまちち』ならではの魅力が求められるだろう。

 二話目がとくにすぐれているのは、上記してきた条件を十分に満たしているためにほかならないのだけれど、いやまあ、いじけたまどかの機嫌をいやいや取ろうとするやまちちのしようもなさが、とにかく素晴らしいではないか。無論、学校裏サイトを覗いてしまったばっかりに痛手を受けてしまったまどかの暗い過去を前提にしているからこそ、やまちちのしようもなさは極めて明るいものとして生きてくるのだし、やまちちの下品でどうしようもないネタのいっそ清々しく感じられることが、所謂トラウマを題材にしたエンターテイメントよりも一段上のレベルに作品を引き上げているのは間違いない。

 すなわち、その相互作用を高く買える、と言いたい。しかるに二話目以外のエピソードでは、それが弱い。作者の過去作『ざんねんなこ、のんちゃん』と同様、自意識が壊れた人間と周囲のリアクションをデフォルメしているにすぎない。二話目の可笑しさのみがそこから先へ少し進んでいった場所にある。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2011)
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