ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年05月05日
 おはようおかえり(1) (モーニングKC)

 少女マンガの出身ではあるものの、鳥飼茜の作風にはどこか、山崎紗也夏や安野モヨコに通じるところがあるのだから、活動の場をヤング誌に移そうが大きな違和感はないのであって、その、デリケートでありつつタフな内面同士をいかにコミュニケイトさせるか、に足場を置いたアプローチは『おはようおかえり』の1巻でも十分に冴えている。

 現代の京都を舞台にした作品である。二十五歳の青年、堂本一保と彼の二人の姉、三十一歳の奈保子と二十八歳の理保子を中心に、面倒くさい手続きを踏みながら、しかし軽やかな足取りで進むのも忘れず、コミカルに体温のよく出た人間模様が織り成されていく。家族、会社、恋人、という半径の狭い世界を切り出し、そこにある実感を読みでに変換しているのだった。

 無論、地に足を着けようとする暮らしにおいて食事のシーンは何よりも重要だし、社会へ出たところに生活のにおいを溢れさせているが、やはり、この作者の良さ、このマンガの良さは、主体と主体とが、それらが別個の主体であるかぎり、こうも簡単にすれ違ってしまう、その決してはかばかしくは事が運ばない様子に顕著であろうと思う。

 たとえば一保と恋人である女子大生の有里恵の、わだかまり、心の距離の、ありふれているがゆえに説得力の高い描写を見られたい。ほんの少し前までどんな不安もワキに除けられたはずの関係が、ちょっとした衝突でこんがらがり、いつの間にやら当ての外れた場所にと流されていってしまう。北山というアグレッシヴな青年の横槍と一保の受け身な態度とを比べ、いわゆる肉食系男子と草食系男子の対照に構図を落とし込むことも可能だけれど、どうあっても他人の気持ちだけは自分勝手に動かせない、こうした躓きにこそ一般化して頷けるだけの価値が備わっているのである。

 おはよう、と言い、おかえり、と言う。おかえり、と言い、いただきます、と言える。それはとてもささやかだが、幸福な信頼だろう。ちっぽけでありながら、日常の確かさを正しく伝える触れ合いだろう。機微のなかにその豊かさがたっぷり詰められている。

・その他鳥飼茜に関する文章
 「家出娘」について→こちら
 『わかってないのはわたしだけ』について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2011)
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