ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年06月20日
 最新19巻を読んだら、ひじょうに気分が盛り上がったので、ひさびさに1巻から読み直したのだけれども、個人的に、ポイントとして感じられたのは、1巻、8〜10巻、15、16巻、そして19巻あたりになるかな、と考えたりもするのは、僕が、この奥浩哉『GANTZ』に見ているものを大まかにいうのであれば、他人のために生き、死ぬことに意味や価値はあるのか、ないのか、ないとしたら、なぜそのような行動原理がこの世のなかで一定の意味や価値を持ちうるのか、といったふうになる。それがもちろん作者サイドの本懐であるかどうかはともかく、すくなくとも僕という読み手は、作品のうちにおいて、ストーリーや世界観の整合性に関わる部分よりも、そちらのほうが気になるのであった。

 だいたいのところ、たぶん主人公として考えていいだろう登場人物である玄野を、ガンツの部屋に巻き込む、つまり、物語の起点となったのは、加藤の、見ず知らずの人間を助けようとする、そういった行為への協力だといって差し支えがない。そして、それは流れで、たまたまそうなってしまっただけなのであり、けっして積極的な参加ではなかったとして、要するに、モチベーションは不透明なものなのである。だから当初は、ガンツの部屋における玄野の立場はちょうど、彼の、日常への中途半端なコミットと相似になっているわけだが、しかし、物語が進むにつれ、そういった姿勢自体が、大きく変化してくるのは、こちら読み手側の目に見えるとおりであろう。

 恋人である多恵の喪失を通じ、玄野は、100点をクリアしたときに、ガンツの部屋から解放されることよりも、メモリのなかにある死者の再生を目指しはじめるようになる。16巻で行われているのは、そのような大幅な路線変更である。8巻における全滅など、加藤を含め、それ以前にも玄野は、大勢の屍を踏まされているにもかかわらず、そうした提案が、その時点まで浮上してこなかったことから考えるに、もしかするとそれは、100点クリアに達したあとでも物語を続けるための、制作上の都合によるものなのかもしれないけれど、多恵が、玄野にとっては他の人間とは違う、あくまでも代替不可能な存在であることが、つよく強調されているために無理は感じられない。最初は誰でもいいうちのひとりにしか過ぎない多恵であったが、やがて掛け替えのないものになっている。その掛け替えのないもののために、ガンツの部屋からの生還を玄野が決意するのは、10巻のラストであり、100点クリアにかける動機が、いよいよ固まるのもそこになるわけだが、そう考えるとすると、そもそものはじめから玄野のモチベーションそれ自体が、多恵の固有性に左右されている、掛かっているのであって、彼が、ガンツの部屋から出ることを選ぶのも、死者の再生を選択するのも、本来的な目的としては一貫してさえいる。

 そういった固有性に関わる部分は、翻って、作品全体に反映される。19巻における復活劇に結実しているように思う。加藤とその弟の再会も、そうしたことの一環なのではないだろうか。8巻で、つよく願われるように、弟のところへ無事に帰るために、加藤はガンツの部屋を出なければならなかった。兄と弟以外には天涯孤独に近しい、ふたりの関係においては、それぞれがそれぞれにとって決定的に代替不可能な存在だといえる。19巻で、加藤の弟が流す涙に説得力があるのならば、それはそのような面からやって来ている。

 ところで、ガンツの部屋以外で、とくに印象に残るように描かれている場所があるとしたら、それは地下鉄のホームである。もちろん玄野と加藤が再会した、そして、すべてがはじまった地点でもあるのだけれど、たとえば8巻で初登場した和泉が、玄野と地下鉄のホームで並んでいる一コマは、まあ、帰り道として通る必然的なルートなので挿入されただけなのだろうが、その時点では、玄野が和泉のことをどこか加藤に似ていると感じられるように、加藤の存在を補填するために和泉が投入されたと考えられるせいで、他のコマと比べても、ひじょうに目につく。また19巻で、おっちゃんが玄野に礼を述べるのも、地下鉄のホームになっている。そのやりとりは、ある意味で1巻の冒頭のヴァリエーションでもあるわけだが、玄野の応対が大きく異なっているからこそ、おっちゃんの言う〈ありがとう……〉に含意されたものが、泣けてくるほどに、生きてくる。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック