
なんとなく、すごい。たぶん、高度なことをやっている。そうした「なんとなく」や「たぶん」で済ませてしまいたい、まるで批評を拒むような衝撃が、前作(デビュー・アルバム)にはあった。が、しかし外部のプロデューサーを立てず、ギターであるオマーによる指揮のもと製作されたこれは、ちょっと、こちらの想像力を遥かに越えたスリルみたいなものを欠いてしまっている。楽曲の展開は派手だけれども、静寂を切り裂いてゆくようなギターとドラムのアタックを中心に置いた構成は、あんがいドリーム・シアターとそう変わりはないのではないか、と思ってしまった。セオリーをとことんまで拒否することのみをセオリーとしたメタ・パンクの着地点は、けっこうプログレ・ハードのサウンドに近しいのかもしれない。とはいえ、それらは似て非なるものである。決定的に違うのは、やはり、ここでうたわれている感情それ自体が、類型的な造形から逃れていることだろう。隙間なく構築された音世界のなかで、声を震わせるセドリックのヴォーカルは、いったい何を伝えようとしているのか。それはきっと言葉には収まりきらないものに違いない。けれども、どこかで知っている、当てはまるものがあったはずで。それがいったい何だったかを考えることに、大きな大きな意味がある。