ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年06月07日
 『小説宝石』6月号掲載の短編。近況欄に「初めまして」とあるので、生田紗代は、これが『小説宝石』初登場になるのかな。とはいえ、これまでと作風を大幅に違えることのない、作者と年齢の近しい、等身大の若い女性を語り手に置いた小説である、「なつのけむり」は。祖母の墓参りのため、4年ぶりに母親の姉夫婦の暮らす田舎へと訪れた〈私〉は、そこで、散歩の道すがら、〈ここは、普段私がいる場所からは遠い。それは距離的なことだけではなく〉と思うのだった。この〈私〉はといえば、四年制大学を卒業後、新卒で入った小さな会社に勤めて3年目になる、実家暮らしではあるが東京で都市型の生活を営んでいる、といった背景を持たされている。しかし彼女には、これから先において、仕事上の明るい展望はなく、結婚の予定もない。〈中学や高校の頃は、大学を出たら、自分はもっとバリバリ働いているのだと思っていた〉が、じっさいにはそうなっていないことに、ふかい失望を覚えている。ここで、ひさびさに訪れた田舎の風景が、彼女に与えるものは、けっして癒しめいたものではなくて、たとえば〈左右を民家の塀に囲まれ、窮屈で閉塞感を感じるのも苦手な理由の一つだった〉というように、自分の普段の生活とはまた別種の、行き詰まりでしかないことが、おそらく、この作品のポイントだと思う。都会と田舎といった二項の対比は、たしかに小説のなかに設置されているけれども、それは、あくまでも叔母という、〈専業主婦なのに、専業主婦を嫌っている人〉である〈私の母〉や、もちろん働く女性である〈私〉とも異なる、いわば、もうひとつオルタナティヴな可能性であったものを登場させるために用意されたものであろう。だが、ここでさらに付け加えておかなければならないのは、〈私〉はしかし、先行する世代である〈私の母〉とも、そして叔母とも異なる、オルタナティヴな可能性のなかを生きるしかない、ということである。そのような、相対関係のうちで、後発の、若い世代が、その若さを消耗していく過程でのみ感じうる現実の重みが、小説の、というか〈私〉が抱えているエモーションの根幹にはあるように感じられた。

・その他生田紗代の作品に関する文章
 「私の娘」について→こちら
 「雲をつくる」について→こちら
 「なすがままに」について→こちら
 「まぼろし」について→こちら
 「タイムカプセル」について→こちら
 「十八階ヴィジョン」について→こちら
 「ぬかるみに注意」について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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