ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年06月05日
 残光

 『新潮』掲載時に1度読んでいるので、これで読むのは2度目になるのだけれども、いやいや、しかしだからといって、何とも言い難い小説だな、という印象はちっとも変わらなかった。ここにはいったい何が書かれているのか、そして、いったいどのような書き方をすればこういうふうになるのか、こちらにある理解の枠内から、大幅にはみ出してしまっている。「カギ括弧」のなかに「カギ括弧」が増殖し、回想のなかに引用が増殖してゆくつくりは、ほんとうにもう、技巧的に高度なメタ・フィクションなのか、たんに作者がぼけちゃっているだけなのか、一概には判ぜられない領域に達してしまっている。とはいえ、詰まらん、とか、こんなもん読めない、とかいうことはなくて、最後の最後まで、飽きず、引っ張られていってしまうのだから、また厄介だ。作中で何度も繰り返されている点からわかるとおり、これを書いている小島信夫という人の、意識の始点に置かれているのは、保坂和志との「トーク・イベント」のことと、介護施設に入った妻の存在である。そこから、他の人の書いた小説を読んだときの小島信夫が引き出され、過去に小説を書いたときの小島信夫が引き出され、自分の小説を読み直しているさいの小島信夫が引き出され、小島信夫の小説を読んだ他の人たちの声さえも引き出されてゆく。そうして『残光』を書いている小島信夫の意識は、中心を一箇所に持たない文章の流れとなって、それに触れている読み手の意識をも、時と場所を一定に保たない浮遊へと、道連れにするのであった。とくに混沌としてくるのは、第二章の後半、小島信夫という人が以前に書いた『寓話』という小説の引用から進んで、それまで実名で書かれていた、小説外に実在する登場人物たちがイニシャル化されていくあたりだろう。たとえば〈Oさんとは第二章の電話の人である。女流作家の大庭みな子さんだろうと読者は思うことを期待している。(私がであるが、そうはあからさまに書かれてはいない)〉と書かれている、ここでの〈第二章〉とは『残光』においての第二章ではなくて、『残光』という小説の平面上にいる小島信夫という人物が、過去にじっさいに現実のレベルで発表した『菅野満子の手紙』という小説の〈第二章〉を指しており、それが『残光』という小説の第二章に書かれているのだが、それ以降、『残光』の内部に書かれている登場人物が、はたして『残光』の平面に生きる人間なのか、『菅野満子の手紙』の平面に生きた人間なのか、その他の小説から引っ張ってこられた人間なのか、それとも実在の世界を生きている人間なのか、つまり、それらの人々ははたしてどこからやってきたのか、確定するのが容易ではなくなる。ところで、このたび付せられた「あとがき」を読んで驚いたのは、次のようにある。〈第三章は、第二章とは無関係ではないが、ぼくが妻のことを書いたいくつかの短編から引用したものである〉。要するに、もしかするとその箇所はサンプリングあたりに近しいつくり方によって書かれたのではないか、と、ふいに思わされることだ。けれども、しかし、小島信夫という、おそらくは実在のレベルを生きる90歳の作家の、その生々しいまでの固有性は、全編にわたり、けっして手放されてはおらず、それはそれで、それこそが一回性の生が負う、業というに相応しいものの現れなのかもしれないな。と、これを読んだあとで、僕にいえるのは、せいぜいそれぐらいだ。

 『殉教・微笑』についての文章→こちら

 坪内祐三『『別れる理由』が気になって』についての文章は→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書(06年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック

小島信夫『残光』
Excerpt: 40歳で芥川賞を受賞した現役小説家の 90歳になってからの最新作。現在91歳。
Weblog: 山中漆器 小谷口剛 うたかたの日々の泡
Tracked: 2006-06-15 13:29