ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2011年02月05日
 GAMBLER! @ (近代麻雀コミックス)

 かれこれ麻雀のマンガを読み続け、20年以上は経っていると思うのだったが、じつはいまだにそのルールをほとんど知らない。同じ種類の牌を三つ集めていくといいんでしょ、ぐらいである。にもかかわらず、麻雀のマンガに大きな魅力を覚えてしまうのは、結局のところ、一寸先は闇の抜き差しならぬほどに危機的な状況が、正しくワン・オア・エイトでありオール・オア・ナッシングのスリルに次ぐスリルを、まざまざと喚起するからに他ならない。だいたいどうして、いやまあこれはギャンブルを題材にしたフィクション全般にいえることなのだけれども、小銭を稼ぐ程度ではじまった物語がいつしか命懸けの展開にまで発展していかなければならないのだ。それはつまり、絶対に死んだように生きていたくはない、という理想を高々掲げようとすれば、誰しもが相応のコストを支払う義務からは逃れられない、このことのおそらくは直接的な比喩になっているためであろう。たかだか数十センチ四方の卓上で繰り広げられているのは、どれほどのリスクを背負っても妥協だけは決して受け入れまいと選ばれた人生の、文字通り、縮図なのだ。スリルに充ち満ちた麻雀のマンガを読むと、話の筋が明るかろうか暗かろうが、本質においては絶望を向こうに追いやろうとする力学が働いているので、無闇矢鱈と元気が出る。

 鹿賀ミツル、『GAMBLER!(ギャンブラー) ―勝負師―』の1巻である。以前、わざわざ『週刊少年サンデー』でギャンブルのマンガを描いていた作者が、活躍の場を『近代麻雀オリジナル』に移し、本格的な麻雀のマンガに取り組んだ。というのは、一応のトピックになりうるだろうか。いずれにせよ、『ギャンブルッ!』に閃いていた鋭いぐらいのスリルは、この『GAMBLER!―勝負師―』でも健在なことに安心されたい。

 頬の傷に似つかわしくない微笑みを浮かべる青年「勝」、彼の流浪は出会った人びとに破滅と再生の運命をもたらした。もちろん、麻雀を通じて、だ。はっきりといって、現時点におけるストーリーのレベルに、新鮮な驚きはない。要するに、素性の不明な勝負師が、一癖も二癖もあるライヴァルたちによって用意された窮地を、余人にはうかがい知れぬポテンシャルを武器に、数々踏破してみせる、というギャンブルを題材にしたフィクションからすれば、常套を地でいくものである。いとも容易く指が落とされる、賭け事の前では命すらも軽々しい、殺伐としたシチュエーションもまた、近年では衝撃と珍しさに目を瞠るものではない。しかし、たとえそうであったとしても、作中人物たちの企みが交錯し、ぎりぎりの緊張感が、彼らの一挙手一投足を支配せんとするその様子に、上質なスリルが漲っているので、ある種のパターンを確認する以上の歓喜が生まれているのだった。最もテンションがあがるのはやはり、いっけん穏やかに思われる主人公が、イメージとは裏腹の凄みを見せ、ギャンブルとイコールな自らのイズムを述べる場面であろう。いわく〈そうやって…… 安全なところばかりで打ってたんだろ? そんなのは本当の勝負(ギャンブル)じゃない… 軽すぎるんだよ… お前らの牌には「命」は乗っていない〉あるいはいわく〈あんたの勝負はいつも こういうやり方なのか? 恐いんだろ? あんたに有利な条件なしじゃあ〉

 と、もちろんそこには、どうすれば人生そのものを果敢に引き受けられるか、の問題にまで拡大可能なポエジーが備わっている。そうだからこそ、麻雀に関する知識の有無とはべつの観点で、震えがくるほどに心を掴まれるものが、はっきり目立たされているのだ。

 ところで、先ほどストーリーのレベルに驚きはないといったが、じつはこれ、主人公である「勝」のプロフィールや彼が大事にしている写真の光景からするに、『ギャンブルッ!』の続編として解釈のできる内容となっている。もしもそうだとしたら、あの死闘をくぐり抜けた少年が、以後にどのような世界を歩んできたのか、むしろ特筆すべき物語はこれからに残されているのかもしれない。

・その他鹿賀ミツルに関する文章
 『ギャンブルッ!』
  11巻について→こちら
  4巻について→こちら
  1巻と2巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(2011)
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