ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年05月26日
 東京バンドワゴン

 ああ、これはとびっきりのエンターテイメント、ひさびさに、純粋な意味で、物語世界を楽しんだ、という気がする。小路幸也の小説『東京バンドワゴン』は、東京の、とある下町で、旧くから続く古書店「東京バンドワゴン」を営む大家族、堀田一家のてんやわんやな四季折々を描いた、そういう内容である。おそらく作者は、ここで語り手の役割を果たす人物を発見した時点で、おおきな手応えを覚えたに違いない。そうした確かな実感が、小説それ自体の充実へと繋がっているのではないか、と思う。語り手をつとめるのは、2年前に亡くなった、家長の妻である。要するに、彼女は、幽霊となっていて、実体がない。視点の問題を考えれば、不自由な制約を持たないということだ。また、しかし幽霊だからといって、超常的な力を発揮したりなどしないし、そのような体で物語に介入したりなどもしない。あくまでも純粋に、カメラ的に、語りの立場に徹しており、読み手は、その彼女に寄り添い、いわば観客として、小説の内部に入り込んでゆく。そうして意識は、小説のなかで流れる時間のままに動き、雑多な登場人物たちのひとりひとりに情を寄せたり、ときおりその行動に疑問を感じたりしつつ、賑々しさに浸っている間に、やがて大団円の結末へと導かれているというわけであった。そのようにつくられた作品の中心に置かれているものを、作中の人物の言葉を借りて一言でいうと、やはり「LOVEだねぇ」ということになるだろう。このとき、LOVEというのが、いったい何を示しているのか。それを作者は、具体的に問い詰め、理念的に正当化したりせず、全体の展開を通じ、通俗性のなかに、せめて輪郭だけを書き表そうとしているみたいだ。そのため、こちらは、自分の入っていった物語世界に窮屈な思いをしない、エンターテイメントとしてのやわらかみ、あたたかさのほうを存分に味わえるのである。

 『HEARTBEAT』について→こちら
 『そこへ届くのは僕たちの声』について→こちら


posted by もりた | Comment(2) | TrackBack(1) | 読書(06年)
この記事へのコメント
いつもありがとうございます。ご指摘の通り、語り手の設定というのが大きなポイントになっているのですが、〈おばあちゃんが語る家族の物語〉というのが最初から浮かんできました。おかげで苦労することもなく最後まで語ることができたのではないかと思います。森田さんの書評を読むのがいつも楽しみです。今後ともよろしくお願いします。
Posted by 小路幸也 at 2006年05月31日 09:44
小路さん、コメントありがとうございます。
「東京バンドワゴン」ひじょうに楽しませていただきました。
そもそもキャラ読みというか、登場人物の性格をそれだけで自立したものとして見ない僕が、それでもここに描かれた家族と、その周囲の人々ひとりひとりの魅力に惹きつけられたのは、あくまでも語り手の視点と、そこから紡がれてゆく物語の豊かさゆえなんだろうな、と思ったのでした。
次回作以降も期待しております。
Posted by もりた at 2006年06月01日 11:26
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小路幸也「東京バンドワゴン」
Excerpt: 小路幸也著 「東京バンドワゴン」を読む。 このフレーズにシビれた。  LOVEをさぁ。一生に一度で、最初で最後で構わないからねぇ。君の青への、実の息子へのLOVEを見せてもらおうとおもってねぇ。 [..
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Tracked: 2010-02-26 18:55
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