ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年05月06日
 世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて

 語り口は、まあやさしいけれども、世界史(近代史)の講義を受けているような怠さがある。が、それというのは現在的な社会システムの、その内枠を、あくまでも論理的に解説しようというための、面倒がくさいぶんだけ、律儀な手続きなのだと思う。反面、そこから導き出された、柄谷行人自身の主張は、わりあいシンプルなものとなっている。新書『世界共和国へ――資本=ネーション=国家を超えて』である。

 柄谷は、ノーム・チョムスキーの考えから、産業的先進国でとりうる4つの国家形態を持ってくる。「国家社会主義」「福祉国家資本主義」「リベラリズム」「リバタリアン社会主義」が、それである。このうちで前三者は、〈資本、ネーション、国家のどれかに従属しているのに対して〉、「リバタリアン社会主義」だけが、〈それらを出ようという志向〉を持っており、また〈現実的には存在しえないもの〉であるが、〈しかし、無限に遠いものであろうと、人がそれに近づこうと努めるような「統整的理念」(カント)として機能しつづけます〉という。そして、その「統整的理念」が、今日我々が生きるこの世界において、どのようなアクチュアリティを持ちうるか、ということの吟味が、本書の大まかなところであるといえるだろう。

 「世界共和国」といった構想もまた、カントの考えからやってきているものである。〈カントがいう「世界共和国」は、それに向かって人々が漸進するような統整的理念です〉〈カントによれば統性的理念は仮象(幻想)である。しかし、それはこのような仮象がなければひとが生きていけないという意味で、「超越論的な仮象」なのです〉〈統整的理念は、決して達成されるものではないがゆえに、たえず現状に対する批判としてありつづけます〉と柄谷はいっている。

 では、なぜ「世界共和国」という「統整的理念」が、この時代においては、重要な意味合いを有するのか。そのことを、歴史的な筋道から、検証し、明らかにしてゆくことこそが、この新書の内実を為しているというわけだ。

 おおきな指摘として目立つのは、「国家」を、共同体の内部から考えるのは誤りだとしている点である。柄谷は次のようにいっている。〈共同体から国家が形成されるように見える場合、実際は、外に国家が存在し、それに対して周辺の共同体が防衛したり、支配から独立しようとすることによって、国家が形成されるのです。国家は、そもそも他の国家(敵国)を想定することなしに考えることはできません。国家の自立性、つまり、国家を共同体や社会に還元できない理由はそこにあります〉。このような考えは、新書のなかで、何度も繰り返し用いられているが、それはつまり、「国家」の自立は、その内部の運営方針によってではなくて、あくまでも他の国家との関係性のうちにあって見いだされるものだということの、言い換えである。と同時に、そのために「国家」が、資本主義経済や、それに基づくグローバリズムと〈別の源泉に由来している〉〈違った基礎的交換様式に根ざして〉いることをも示している。

 〈ヘーゲルの考えでは、世界史は諸国家が相争う舞台です。世界史的理念はヘゲモニーをもった国家によって実現される〉といわれ、そのようなヘーゲルの考えは「理性の狡知」とされる。「理性の狡知」とは、あるひとつの「国家」の単独的な行動が、結果的に、世界史的な理念を実現することである。これに対して、またはそれのオルタナティヴとして、柄谷が着目するのが、「自然の狡知」というような、カントの考えである。

 もちろんのように「自然の狡知」は、「世界共和国」や「統整的理念」へと通ずるものであろう。かつて19世紀を支配していたのは、ヘーゲルのような考え方であった、その結果として、第一次世界大戦が起こったのだ、と柄谷はいう。そののち、カントの理念に基づいて「国際連盟」が形成されたが、アメリカ国家が批准しなかったために、第二次世界大戦を防ぐことはできなかった。その反省を踏まえ結成されたのが「国際連合」いわゆる「国連」である。そうしたことを前提に、柄谷は、「国連」の無力さ、〈国連への批判はいつもカントに対するヘーゲルの批判に帰着する〉といっている。要するに、ヘーゲル的な考えを乗り越えようとしたのが、カントのような考え方だったとして、しかし、カントの考えをもってしても、未だ世界は平和になっていないではないか、といった種の批判は、反動的に、ヘーゲルの考えを再起させるだけでしかなく、それもまた有効ではない。

 そこで柄谷が導く、ひとつの主張は、今日の世界がけっして平和ではないのは、それでもまだカントの考えが十全に行われてはいないからなのだ、といった旨である。〈カントの考えは、たんに、単独行動主義に対する多国間協調主義のようなものではありません〉〈カントの平和論は、国際法や国際政治に還元されるようなものではない〉。「世界共和国」というのは、未だかつて、人類が達成したことのない理念である。だが、それは〈人類史が到達すべき理念〉として存在している。

 めじるしのない暗闇のなかを、あてもなく彷徨えば、人は道に迷う。だから、ここで柄谷がとりあえず設けているのは、人びとが歩を進めていくうえで、まあ、それをあてにするかどうかは、読み手側の判断であるとして、せめてもの道筋となってゆくような、そういうめじるしの類なんだろうな、と思う。

 『定本 柄谷行人集 第5巻 歴史と反復』についての文章→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(1) | 読書(06年)
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世界共和国へ
Excerpt: 世界共和国へ  資本=ネーション=国家を超えて 岩波新書 新赤版 柄谷 行人著
Weblog: 本の本質
Tracked: 2007-09-05 11:46