ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年12月04日
 ギャングキング 20巻 (ヤングキングコミックス)

 作者の柳内大樹が主人公であるジミーに委託しているテーマとは、おそらく、強いはずの人間でも悩むことがあると同時に悩むことでしか人間は強くなれない点なのであって、そこでいわれている強さをどう扱うかの問題は、たぶん、最大のライヴァルにあたるピンコの「力の模索」に集約されているのだと思う。『ギャングキング』の20巻である。何よりも気になるのはやはり、ジミーとピンコの直接対決にいかなる結着がつけられるか、であろう。それはつまり、同じテーマを背負いながら別々のベクトルを生きる二者がお互いにお互いを参照することで、作中の言葉を借りるのであれば「答え合わせ」を果たしているからなのだったが、結局のところ具体的なコンセンサスは得られず、あくまでも平行線の存在であることだけが確認されるにとどまる。さしあたり、雌雄を決しないことによって物語は延長化された、と考えて良いのかもしれないけれども、異なった観点から見るとしたら、ジミーとピンコの関係が、『ギャングキング』においては常に、止揚(アウフヘーベン)の機能を持っていることを強く印象づける展開となっているのだった。事実、ピンコとのバトルを経て、ジミーの認識が次の段階に入ったことは、後のエピソード、たとえばマッスルとの再会やベロの姉とデートしているくだりにあきらかだろう。もちろん、それ以前の成長期としてワークマンズ編があるにはあったわけだが、あそこでの借用に近しい井上雄彦『リアル』ふうの描写から作風が完全に脱却していることにこそ、最も注意されたい。要するに、作者自身もまた、ジミーとピンコの止揚を通じ、創作上に新しい手応えを掴んでいるのである。ただし、『ギャングキング』の題名に現時点で相応しいのはやはり、ジミーではなく、ピンコのほうだといえる。過去にも指摘したとおり、ピンコの思想とチーム・ジャスティスの営みは、高橋ヒロシ『QP』(99年〜02年)の我妻涼や山本隆一郎『GOLD』(01年〜06年)の御吉十雲のそれに通じるものだ。裏社会を生きることでしか運命や世界は変えられない。こうした天啓は、いかに肯定されようとも暗さを免れない。00年代以降のヤンキー・マンガが抱える宿痾でもある。しかして柳内は、我妻涼とも御吉十雲とも違う答えをピンコに与えられるのか。ジミーを軸とする本筋のほかに、そのことが気になって仕方がない。

 19巻について→こちら
 18巻について→こちら
 16巻について→こちら
 15巻について→こちら
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 13巻について→こちら
 12巻について→こちら
 10巻について→こちら
 9巻について→こちら
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 6巻について→こちら
 4巻について→こちら
 3巻について→こちら

・その他柳内大樹に関する文章
 『ドリームキングR』(原作・俵家宗弖一) 
  6巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら 
  3巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『新説!さかもっちゃん』1巻について→こちら
 『スマイル』(永田晃一との合作)について→こちら
 『柳内大樹短編集 柳内大樹』について→こちら
  「バンカラボーイズ」について→こちら
  「オヤジガリガリ」について→こちら
 『ドリームキング』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら


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