ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年04月14日
 『メフィスト』5月号掲載。西尾維新による「ひたぎクラブ」「まよいマイマイ」に続くシリーズの第3作目「するがモンキー」である。春に、吸血鬼に襲われたことから怪異なる現象と、ふかい縁を持つようになってしまった〈僕〉こと阿良々木暦(あららぎこよみ)の、新しく遭遇した災難とは、一線級のバスケット選手として学校中からスターと目される、ひとつ年下の女生徒神原駿河(かんばるするが)から受けるストーキングの被害だった。いったい何がどうして彼女は、〈僕〉につきまとったりするのだろうか。前回の事件を通じ知り合った小学生、八九寺真宵(はちくじまよい)は、ギャルゲー的なモテモテ期に入ったのではないか、というが、いや、しかし、まさか。もちろんのように、ほんとうのところは、これで5度目となる怪異に巻き込まれはじめていたのであった。

 怪異とは、大まかにいえば、人の心のうちにある暗部の、歪な、変形した反映である。「ひたぎクラブ」や「まよいマイマイ」と同様に、「するがモンキー」の大筋も、怪異へと結びつく原因を、つまり、一個人が抱えるネガティヴな屈折を、〈僕〉が解明してゆく過程を追うことによって、成立している。〈僕〉が相手どるのは、人外のものであるために、オカルトまたは伝奇的な要素を、過分に含むが、しかし、解決はロジックとレトリックによってもたらされるため、そこに読み手が推理を働かせる余地が生まれている。あるいは、それがこのシリーズのパターンだともいえる。とはいえ、そのようなポイントのみに着目してしまうと、びっくりするようなトリックが仕掛けられているわけではなく、また、想定外の展開が待ち構えているわけでもないので、いささか物足りなさを覚える向きもあるだろう。ぶっちゃけてしまえば、予定調和といってもいい、先が読める、からである。

 だが、しかし、ドラマのつくりのほうをみれば、これは相当にしっかりとしている。語り手である〈僕〉のキャラクターは、いっけん西尾維新の作品に類型的な、安易にひねた少年像に見えなくもないが、しかし、彼を動かすモチベーションは、ずいぶんと真っ直ぐに、ポジティヴなものになっている。たとえば、この「するがモンキー」において〈僕〉は、ある場面で、なんのてらいもなく〈でも――僕達は、同じ痛みを、抱えている。共有している〉といってみせる。あるいは〈僕は神原を、対等な相手として見ていなかった〉として自分が〈絶対に安全な高みから、たっぷりと余裕のある立場から〉物事を調停しようとしていたことへの嫌悪を述べる。言い換えるとすると、つまり〈僕〉を動かしているのは、疑いようのない、他の登場人物たちイコール他者への共感となっているのである。そして、それは、戯言シリーズにおける〈ぼく〉が最終的に選択した立ち位置を、では、そこからいかにして生きてゆくかといった課題へと、作者が踏み込んでいったことの証左ではないかな、と僕は思う。

 どういうことか、もうすこしだけ詳しく述べたい。世界と主体という関係性をもって、これまでの西尾の作品を、壊れた人間が、いかにして正常な世界との関わりを持つか、といった体でまとめられたものとしてみるならば、いや、もちろんのように、正常な世界などどこにもないとしても、すくなくとも語り手または主体のレベルから、世界の在り方を眺めた場合、すくなくとも、壊れた世界のうちにあってさらに壊れているのが自分である、といった考えに取り憑かれていたとして、それが、しかし、ここでは、大枠の部分においては、正常な人間が、いかにして壊れた世界と関わりを持つか、といった体に組み替え直されている、ということである。物語のレベルに還元してみるのであれば、世界に迎え入れられるために主体が変化するという筋から、主体が能動的に世界を変えてゆこうとする、そのような筋へと移行している。

 ただし、だからといって、主体そのものが抱えるエモーションが変化した、というわけではない。たとえば、(これまでにも何度か書いたけれども)読み手であるところの僕が、この作家が書くものに一貫してみているテーマみたいなもののひとつに、もしも唯一無二のものがあるとしたら、それはいったいどのようにして代替(交換)不可能として判定されるのか、といったものがある。そういった部分については、けっして見失われてはいない。それどころか、ここにきて、語り手であるところの〈僕〉がいよいよ〈誰かが誰かの代わりになんてなれるわけがないし、誰かが誰かになれるわけなんか、ない〉と、力強く断言するにいたっては、やはり、作家サイドのキャリア上における地続きな発展を感じさせる。たしかに小説の書かれ方そのものは、ある種のルーティンのように読めなくもないし、定型の再生産に思えなくもないが、しかし、そういった諸々のことを含めたうえで、僕はこれを、西尾維新式様式美が完全に確立された、というふうに捉まえる立場をとりたい。

 ※この項、大幅に書き直しました。が、あまり満足のいく結果は得られませんでした。

 「まよいマイマイ」について→こちら
 「ひたぎクラブ」について→こちら

・その他西尾維新に関する文章
 「ある果実」について→こちら
 『ネコソギラジカル(下)青色サヴァンと戯言使い』について→こちら
 『ネコソギラジカル (中) 赤き征裁VS.橙なる種』について→こちら
 『ネコソギラジカル (上) 十三階段』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――最終回「終落」』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――第五回「五々」』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――第四回「四季」』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――第三回「第三」』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――第二回「二人」』について→こちら
 『トリプルプレイ助悪郎――第一回「唯一」』について→こちら
 『ニンギョウがニンギョウ』について→こちら
 「コドモは悪くないククロサ」について→こちら
 「タマシイの住むコドモ」について→こちら
 「ニンギョウのタマシイ」について→こちら
 『新本格魔法少女りすか 2』について→こちら
 『新本格魔法少女りすか』について→こちら

 『総特集 西尾維新』ユリイカ9月臨時増刊号について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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