ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年04月11日
 犯罪交渉人峰岸英太郎 5 (5)

 警察の強制捜査中に起こったカルト教団内部のクーデター、けっして忘却することのできない過去を清算するため、教祖殺害を目論んだ少年を、はたして英太郎は救うことができるのか。これにて嘘を嫌う敏腕交渉人の活躍も見納めとなる、記伊孝『犯罪交渉人 峰岸英太郎』最終5巻である。最後の最後まで純度の高い緊張感をキープし、きっちりと読ませる内容であったと思う。これが、あくまでも英太郎を主軸とし進行しながら、ある種の群像劇に見えなくもないのは、すべての登場人物に内面があることを、作者が忘れず、物語の動き自体に奉仕するよう、うまく、コントロールしているためであろう。また見事なのは、クライマックス、英太郎の交渉術と敵役の少年の洗脳術が同型であることを明示しながら、その差異を際立たせることで、事件そのものを終結へと導くくだりだ。登場人物のひとりが次のようにいう。〈交渉術の究極の基本は人間の返報性の原理によるものだ・・・・人には・・・・他者から何らかの誠意を受けた場合同じように誠意を返そうとする本能が働くようになっているのよ〉。しかし、おそらく英太郎の言葉は、そして声は、そういった理屈のレベルを越え、他者へと働きかけてゆく。そこに介在しているのは、たぶん、いや、やはり、こころ、なんだろうな。当然、心などといえば、ある種の議論においては判断停止とまったくの同義になりうる。それをギリギリのラインで説得力の向きに推進させているのは、英太郎の、作中では「勝算」として捉まえられている、状況把握の能力にほかならない。それは知性によるものというよりは、むしろ理性によってもたらされているものだろう。他者への働きかけと応答が、人を人としてのかたちに止めておくものだとして、そのような不文律が、ここでは、人為的な所作を経由して、自然な成り立ちへと還元されている。作品は、物語が終わったあとでも登場人物たちが、人が人を救うたったひとつの言葉を探し続けることを示唆して、おわる。もちろんのように、そのことは、ひとりの人間が生きること、生き続けることをも同時に意味している、あるいは、どんな受難の最中にあっても人は生き延びなければならない、ということの言い換えなのである。

 4巻については→こちら
 3巻については→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック