ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年09月05日
 偉大なるちばてつや、ちばあきお兄弟に共通していたのは、主な題材をスポーツにとっているほか、貧困のなかに逞しさを描くこと、ではなかったか。と思われないのでもないのだった。そしてその系譜は、今や塀内夏子に引き継がれているのかもしれない。そのような予断を『明日のない空』の内容は許す。決して恵まれてはいない環境で生まれ育った少年たちの葛藤、ふんばり、そして這い上がりの精神が、力強いタッチに描かれているのである。

 生活苦に屈した父親が幼い弟と娘を殺害、無理心中を図ったせいで心を病んだ母親を養うべく、町工場で働きながら定時制の高校に通うサイ(才谷駿)にとって羽根を伸ばせるものがあるとすれば、それは部活動のハンドボールであった。長身ですぐれた才能を持った幼馴染みのガッツ(古賀毅)を含め、学校の仲間とともにコートに立っているあいだは、背負わされた重荷や不安から解放される。しかし勿論、だからといって現実は相変わらずの厳しさをゆるめはしないのだったが。

 この2巻では、父親が起こした事件の詳細を知り、あらためて母親が受けた衝撃の深さを知り、そしてガッツの姉である瑤子への感情が恋愛だと知っていくことのなかに、サイの成長する姿が示されている。一方、高校生にもかかわらず、全日本の強化合宿に呼ばれたガッツがそこで揉まれてもくじけない様子に、ハンドボールに向かう原動力、サイや仲間との絆、ホームとすべき場所の大切さが確認される。

 設定や絵柄、描写、物語の全部を引っくるめ、『明日のない空』というマンガに与えられた方向性は、きわめてオールドスクールなものだろう。けれども、新しいや旧いの基準では判断されない感動が、いや間違いなく宿されているあたりに、作品の魅力、本質を見られたい。

 母親の担当医に〈お母さんはね、本当に死んでしまいたいわけやないんよ。「死にたい程苦しい」と訴えているだけなの。誰にもわかってもらえないのがつらいんよ…〉と告げられたサイが、回想と内面のドラマに踏み込んでからの数ページは、構成にしたって展開にしたって、今どき素朴すぎるきらいがある。それなのに、ちくしょう。胸を痛めるほどに圧倒されてしまうのは、具体性の強い記述と抽象度の高い表現が、人間関係そのものの距離感をよく教えてくれ、作中の人物にそれを悩ませる表情、作中の人物にそれを歩ませる動きを通じ、誠実な態度の何たるかがしっかり刻み込まれることとなっている、かくいう深さを見事に覗かせるからなのだ。

 サイの根性は本物だと思う。それがすなわち『明日のない空』の説得力でもある。ところで、最初の話に戻るのだけれど、ちば兄弟において、根性の概念は東京の下町を舞台にしていることと無縁ではなかった。『明日のない空』の舞台は大阪である。近年では森下裕美が『大阪ハムレット』で、やはり大阪で暮らす人々に逞しさを託しているが、いずれの場合も土地柄、背景によって印象づけられているのは日本的な情緒にほかならないのであって、それに関する興味の有無がたんに新しいや旧いの基準を分けているにすぎない。

 1巻について→こちら

・その他塀内夏子に関する文章
 『イカロスの山』
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『雲の上のドラゴン なつこの漫画入門』について→こちら
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