ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年08月19日
 女神の鬼(16) (ヤングマガジンコミックス)

 社会の縮図や比喩としてサヴァイヴァルを描くのではなく、サヴァイヴァルそのものを描くこと、したがって鎖国島の〈港をスタートして…この道を真っ直ぐ行く!! 山道に入って そこを ずっと 真っ直ぐ登る!! すると山の中腹辺りで‥‥王の領域の入り口に突き当たる!! ソコを左に曲がって…あとは そのまま 道形に進んで行けば‥‥女神岩(ゴール)じゃ‥‥!!〉というたったそれだけの展開に、火薬や銃器、大量の暴力が持ち込まれる。もちろん、主人公であるギッチョ(佐川義)の願いは、次のようなものだった。〈まるで女神様が座っとるみとーな っちゅー その色っぽい女神岩に このワシが一番最初に辿り着いて‥‥御札をゲットして 王様になるんじゃあぁああッ!!〉

 ついに昭和58年度の鬼祭りが幕を開けた。16巻に入り、田中宏の『女神の鬼』は、ますますのスリルを高速回転させていくのであったが、しかし、この正念場に至って、いきなり金田の過去編を挿入し、いったんワキ道に逸れてしまうあたり、作品の構成としてどうなの、というのがあるにはある。ただしここでは、物語の大きさに対応すべく、肯定的なスタンスでそれを解釈していくことにしたい。

 本筋、つまりは鎖国島で開催されている鬼祭りが、すでにいったとおり、若者たちが一つのゴールを共有することでしか果たされないサヴァイヴァルそのものであるとすれば、金田の素性をプレゼンテーションしていくくだりは、まさしく社会の縮図であって比喩のなかにサヴァイヴァルを描いている。精神的にも物質的にも、貧しい暮らしぶりを余儀なくされた少年が、ほとんど独力で、この世界に生きられる可能性を見出さなければならない様子が、繰り広げられているのだ。このとき注意されたいのは、生まれや育ち(遺伝や環境)のせいで、すなわち当人の与り知らぬ運命によって、そうせざるをえなかった点だろう。小学生の頃の話だ。薬に蝕まれ、気の触れてしまった母親に囚われてしまい、父親や兄からも見捨てられてしまった金田は、虐待を受けながらも逃げられず、腹を空かせては盗みを働いていた。実情はどうであれ、世間からしたら、文字どおりの悪童にほかならなかった。そんな彼にも一人の友人ができた。コンチャン(近藤裕二)である。さまざまな紆余曲折を経、成長した二人はビイストに加入、ギッチョたちとの対立関係を築いていくこととなる。

 じつはその、紆余曲折にあたる箇所こそが、金田の素性における要なのだけれども、母親を喪ったあとも狂気にあてられたかのような破壊衝動に飲まれ、ついにはコンチャンを傷つけてしまい、すべてを御破算にしてしまった彼が、夜の街をさまようなか、ケンエー(雛石顕映)との出会いを通じ、決して健全とはいえないまでも再生を果たしていく、こうしたプロセスの最後に、ふたたびコンチャンが登場してき、この世界には他には替えられない存在がたしかにあることを、金田に教えている。

 コンチャンと別れたまま、中学校にあがり、孤軍奮闘していた金田は、たまたま遭遇したケンエーの〈ガキが‥‥‥‥何ムキんなって一人でツッパっとんなら‥‥‥‥おお!? 所詮限界じゃわい 仲間も無しに…〉という言葉に、〈それまでに出会ォた誰とも違う その特別な雰囲気の男の『仲間も無しに‥‥』の一言に ワシは固まった‥‥〉のであって、〈ホンマなら横におるはずの……………仲間がおらん苦しさから逃れるために‥‥ケンエーくんの野望とゆー名の友情に飛びつ〉き、〈中身がどーであれ 仲間ってゆー空気の中におる間は 苦しみから解放される気がした‥‥〉のだったが、それでも自分には欠落があることを認識しているので、〈救われたはずなのに…なんで‥‥なんでこんとに‥‥まだ 苦しくて…涙が出るんや‥‥〉と問わずにいられない。そうした欠落にあたるがゆえ、唯一埋められたのが、金田を追ってビイスト入りしたコンチャンだったのだ。

 さてしかし、いったん整理しておきたいのは、家族や世間から迫害され、あるいは彼自身が家族や世間との関係を放棄した結果、それら以外の拠り所を金田が求めなければならなかった。そこで要するに、コンチャンやケンエーのみが、金田にとっては正義や安息を預けるのに値した、ということだ。しかしてそれは、帰属先が自明ではないばかりか、保証されてもいないとき、はたして人はいったい何を信じればよいか、といった問題を内包している。金田が不良少年としてのレッテルを生きなければならないのは、本質的に、その居場所を家族や社会からは与えられていなかったためなのである。

 コンチャンやケンエーによって、金田の魂に救済をもたらしているのは、それが特殊であろうがなかろうが、共同体の論理にほかならない。共同体の論理がいかに構築され、共同体の論理を個人がどう引き受けるのかは、田中宏が『BAD BOYS』の昔から『女神の鬼』に至るまで、ライフワーク的に編んでいるテーマの一つだといえる。このことが、鎖国島の、鬼祭りの、決戦の、その直前に、あらためて確認されているのだとすれば、金田の過去編は、物語の全体にとって絶対不可欠なパートにも思われる。

 じじつ、急襲され、倒れたコンチャンを金田が背負い、ケンエーに助けを請う場面は、今回の鬼祭りをエスカレートさせるのに応じたイグニッションになっているのだし、そのさい見逃せないのは、ちょうど同じところにケンエーの兄であり、足に怪我した顕治が居合わせ、逆上のあまり次のような言葉を吐き、金田に秘蔵の火薬を与えようとしていることだ。〈火薬か…!? ナンボでも持って行けぇや‥‥ナンボいるんなら…お!? そのかわり‥‥原 真清一派だけじゃない‥‥雛石の血を汚したドグサレ‥‥‥‥‥‥東 紳彌(アズマ)ぶち殺せ…!!!!〉

 アズマの裏切りによって窮地に立たされた顕治にすがれるものがあるとすれば、また他には替えられない存在がいるとすれば、それは間違いなく弟のケンエーであった。自分に尽くすケンエーの姿を見、〈結局…最後に信用できるのは‥‥“血”のみじゃ………〉と実感するのである。ここにもまた、共同体の論理が働いているのはあきらかだろう。共同体は何らかの価値観をベースにすることで生成される。顕治にとってはつまり血縁がそれにあたる。

 顕治が火薬を渡そうとするとき、金田に突き付ける条件は、そうした価値観を別個の人格に強要し、共同体を拡張する場合の駆け引きを見事に含んでいる。〈お前は 唯一ケンエーとずっと仲間じゃった‥‥ワシら雛石兄弟を支える一番の側近として今回特別に‥‥ワシら以外は絶対に入れん火薬倉庫に入れてやる‥‥!! お前が信じるに値するかどーか…もし裏切ったら そん時は コン(引用者註・コンチャンのことね)を殺す!! えーのォ…コンは人質として ココにおいとけ‥‥ワシらに忠誠を誓う証として…火薬(はっぱ)でアズマの首ぃ獲って来いや……!!〉という、以上の言葉はじっさい、戦略的に見られるべきだろう。顕治の思惑において、金田が共同体の一員に相応しいかどうか、ある種のミッションをあいだに置きながら、試している。

 お前の大事なものを守りたいのであれば、真清の一派やアズマを殲滅せよ。顕治の提案を是とすることで、金田は鬼祭りに復帰していく。一方で、アズマはともかく、真清のサイドにも金田を迎え撃つのに十分な闘志が蓄えられていることを看過してはならない。鎖国島の王様になるべく、女神岩に向かい、独走していたはずの真清が、ふいに足を止める。同じ東側の仲間であるウルメが、金田に傷つけられ、倒れているのを目にしたのだった。そうしてついに、あの飄々としていた真清が〈鬼祭りはいったんおいといて‥‥‥‥金田のクソガキ殺すど!! ワシの仲間に指一本でも触れたヤツは一人残らず‥‥皆殺しじゃ‥‥‥‥!!〉と激昂を帯びるのだけれども、このような因果は、直線的なルールにガイドされていた鬼祭りの内容を、異なった共同体の複雑な衝突へと発展させる。はずみをつける。

 15巻について→こちら
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 6巻について→こちら
 5巻について→こちら
 4巻について→こちら
 1巻と2巻について→こちら

 『KIPPO』1話目について→こちら
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