ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年03月30日
 NANA -ナナ- スタンダード・エディション

 ややイレギュラー的なエントリを。というか、すこし前に映画版『NANA』をDVDで観たのだった。それで『NANA』というマンガにおける、語り手の水準について思うところがあった。マンガ版『NANA』においては、語り手つまりモノローグを語る主人公のハチが、時系列でいえば、どのポイントから「あのとき」と発しているのか、ストーリーはそれを追いかけるかっこうになっており、その運動に読み手の関心は依存する。簡単にいってしまえば、ナナとハチに何があったんだろうねえ、という興味にほかならない。いつかはそれが明かされるのだろう、という期待でもある。しかし、映画版においては、最後の最後に物語が至っても、それは明らかにされない。そのことが尻切れトンボ感を覚えさせるのではないか。だから逆をいえば、語り手の水準をはっきりと配置させておくことができていれば、すっきりとしたエンディングを設けることができたようにも思う。時系列でいえば、最後のシーンに、語り手であるところのハチを置いておけばよかったのである。言い換えると、映画版においては、最後の最後まで、ストーリーを牽引してきた語り手は、けっして画面に登場しない。つまり、映画の内部に語り手が存在していないのであって、それはもちろんのように、ひとつの作品を一個の完結した空間としてみた場合には、ある種の間違いを犯していることになるのだった。まあ続編ありきの企画なのだとすれば、そのように制作されるのは必然だとはいえ、細部への配慮を欠いているのは疑いようがない。それはそれとして。いちおうパンク・バンドの設定なのに、ステージ上のアクションが完全にメタル様式であったのには、にはは、となる。いや日本のバンドって、案外そんな感じなのかな。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
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