ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年07月20日
 ここ最近の坂本龍馬ブームにおいては、彼をいかに人間らしいイコール矮小な人物として表現するかに説得力を設けようとしているふうな印象を受けるのだけれども、この柳内大樹の『新説!さかもっちゃん』もそうしたデンを採用しているあたり、まったく現代的な意で「新説」とうそぶくのに相応しいのだろう、が、それはともかく、このマンガに対する残念はこの作者の作家性に対する残念とほとんど同義であることだけは、前置きしておきたい。

 率直にいってしまえば、ストーリーをあまり練らず、かっこうよさげなカットとポエミーを前面化したい、このような欲望を隠そうとしないのが柳内の作風なのであって、少なくとも1巻を読むかぎり、『新説!さかもっちゃん』でとられている手法は、決して冴えた実験性などではなく、たんに作者にとって都合のよい方向性にすぎないのではないか、と思われてしまう。4コマのテイストとシリアスなタッチの複合は、たしかにアイディア以外の何ものでもないのだったが、しかし両者のギャップがもたらしているのは、ギャグやサプライズというより、ストーリーの簡略、かっこうよさげなカットとポエミーの突出にほかならない。当然、それを高く買う向きはあるに違いないのだけれども、個人的にはさほどはっとしない、といったところである。

 発表しているのが『週刊ヤングジャンプ』だからというわけではあるまいが、4コマのパート自体は、どことなくかつての森下裕美を彷彿とさせる、どたばた劇がなかなか楽しいものの、あくまでも本分はシリアスなタッチのほうにあるように見えてしまう。反面、シリアスなタッチでは、吉田聡の系譜であるようなおかしさ、デフォルメの質を生かした部分にこそ見るべきものが多い、たとえばp71のドジョウすくいのくだりなどはすごくキュートなのに、たいていは脈絡を欠いたヒキ(オチではない。オチてはいない)に大きなコマをあて、体裁のみを取り繕うばかり。要するに、長所と短所とが逆の出方をしているのだった。

 さて、ここからは余談になる。もちろん『新説!さかもっちゃん』は、ぜんぜんヤンキー・マンガじゃないのだが、上記した手法は、同じ作者の『ギャングキング』に支配的な感性の延長線上にあるのは疑いようがない。いうまでもなく『ギャングキング』は、近年のヤンキー・マンガを代表する一作だ(まあね)。そして近年のヤンキー・マンガが、いや当然すべてではないものの、その多くが特徴としているのは、一枚のカットと説明調のセリフで事を済まそうというスタイルであって、それは意外にもノベル・ゲーム(あるいはギャルゲー)の流儀と大差がない。だが、ノベル・ゲームのインタラクティヴなアプローチが、重層的な解釈を許しやすいのに対して、ヤンキー・マンガの形式は、単層的かつ直線的なストーリーを強化するための方便にしかなっていないので、表現にひろがりの出来損なっているのが、悔しい。

 誤解があってはいけないのだけれど、何もノベル・ゲーム万歳という話をしているのではないし、どちらがすぐれているかということでもない。手法上の不満を端的に、自分が今の柳内大樹に厳しい理由を述べたまでだ。

・その他柳内大樹に関する文章
 『ギャングキング』
  19巻について→こちら
  18巻について→こちら
  16巻について→こちら
  15巻について→こちら
  14巻について→こちら
  13巻について→こちら
  12巻について→こちら
  10巻について→こちら
  9巻について→こちら
  8巻について→こちら
  7巻について→こちら
  6巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
 『ドリームキングR』
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら 
  3巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『スマイル』(永田晃一との合作)について→こちら
 『柳内大樹短編集 柳内大樹』について→こちら
  「バンカラボーイズ」について→こちら
  「オヤジガリガリ」について→こちら
 『ドリームキング』
  3巻について→こちら
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
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