ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年01月12日
 いわゆるネグリ、ハート的な〈帝国〉に関する議論を扱っているのは、最後の書き下ろしの部分だけで、それ以外は、基本的に、90年代の大澤真幸の仕事の総集編みたいな趣であり、おそらく「まえがき」で予告されている次の著書『ナショナリズムの由来』のための、布石みたいなものなのだろう。クリプキがいうような固有名の在り方を出発点に、偶有性あるいは他者との関係性について論じるあたりは『恋愛の不可能性について』を押し進めたものであるし、アメリカ社会の変容について書かれたものは『性愛と資本主義』、『電子メディア論』、日本社会の変容については『虚構の時代の果て』を多く参照したものであったりする。逆をいえば、大澤の著書としては、非常にコンパクトにまとまり、わかりやすいほうのものである。

 個人的にもっとも興味深かったのは「マルチストーリー・マルチエンディング」という、ノベルゲームを中心に、大塚英志『物語消費論』と東浩紀『動物化するポストモダン』を扱った箇所で、大澤は、「データベース」消費とは、物語の否定や無関心を表しているのではなくて、「大きな物語」を包括する「より大きな物語」を志向するものではないか、と推論する。「より大きな物語」とは、これも偶有性の問題と関連してくるのだが、「他でありうる」可能性の、そのすべてを想定する、つまり、バッド・エンディングもハッピー・エンディングもぜんぶ網羅した、超越論的であるがゆえに、普遍的でありうる物語を指している。もちろん、それがまったくもって正しいかどうかは知れないけれども、ああ、なるほどな、と、こちらが納得できるだけのロジックを、大澤は提出しているように感じられた。

 『性愛と資本主義 増補新版』についての文章は→こちら
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