ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年06月12日
 ナンバデッドエンド 8 (少年チャンピオン・コミックス)

 まったく、クズみたいな野郎はどこにでもいるんだな。千葉にもいたし横浜にもいた。もちろんそりゃ渋谷にだっていらあ。しかしどうして、ただ平凡な高校生活を送りたいだけの少年が、そんな連中を相手にしなければならないのか。彼に恨みを抱くその男はたしかにこう言ったのだった。〈オメーがどう思おうが アイツらから見たらオレもオメーも同じクズなんだ!! オメーにクズばっか寄ってくんのはな…オメーがクズだからだよ…〉。

 ああ、こんなにも残酷で悲しい解答に対し、いや違う、どのような運命にも必ずや自由があるはずだ、という反証を与え、ひたすらポジティヴな説得力を与えているのだから、しびれるよりほかない。小沢としおの『ナンバデッドエンド』の8巻は、このマンガが掛け値なしの傑作であることを、あらためて教えてくれる。じっさい、どこからどう褒めればよいのか悩むほど、とても深い懐のエピソードを収めているのであって、さしあたり概容から入っていきたい。

 家族に嘘がばれ、友人である伍代の家に身を寄せた主人公の剛は、自分で学費を稼ごうとし、夏休みのあいだ、渋谷のカラオケ・ボックスでアルバイトをはじめるのだったが、折しもそこの客に、兄である猛にかつてくだされたチンピラたちが訪れていたため、過去の因縁に否応なく巻き込まれなければならなくなる。元マッドマウスのグリとグラは、難破兄弟をはげしく恨み、報復すべく、悪質な手段を用いて、剛を脅し、猛を誘い出そうとするのである。しかし剛はといえば、家族はもとよりアルバイトの仲間にもこれ以上の迷惑をかけたくないので、何もかも全部一人で背負い込もうとするのだった。

 こうしたストーリーにおいて、暴力の輪を自分以外へと広げるわけにはいかず、一方的な被害に遭いながらもそれに耐えようとする剛の姿が、まず目を引く。〈いつから無抵抗主義になった? ガンジーにでもなったつもりか?〉と言う伍代に答えて、剛が〈オレが…アイツらブン殴っても同じことのくり返し…って思ってたら めんどくさくなって…気のすむまで殴らせようって……イカれたヤツらとは早く縁切りしたくてよ…〉と述べているのは、間違いなく、本心だろう。注意されたいのは、そのとき、彼の心が、どう動いているか。おそらくは、周囲の人間を考慮してのみではなく、自分自身もまた暴力の輪から早く抜け出したい、このように動いていることである。

 筋金入りのヤンキー一家である難破ファミリーの、剛に託した全国制覇という夢は、ある意味、暴力と不可分だといえる。他方、ごく一般的な学生時代を歩みたい剛にとって、ヤンキーをあがるというのは、必然的に暴力の否定形をとらざるをえない。だが、暴力を否定することが、たとえ可能であったとしても、家族を否定することは、彼らからの愛情をつよく感じられる以上、ひじょうに難しい。これが『ナンバMG5』も含め、『ナンバ』シリーズ、『ナンバデッドエンド』全体を貫くジレンマの一つであって、主人公がケンカに応じてはなぜ、自分の素性を隠し、母親特製の特攻服を着、別個の人物を演じなければならないのか、物語下の条件としてではなく、深層のレベルでそれを見るなら、葛藤によって二つに引き裂かれる主体を、文字どおり、意味している。

 しかして、今回のエピソードのなか、グリとグラの攻撃を前に、もはや剛が特攻服を着ないでいるのは、そうしたジレンマ自体の放棄に値しているのだと思われる。もちろん、たんに実家から持ってきてはいない、程度の問題にすぎないのだけれども、裏切りが明るみとなり、すでに家族とは別離的になってしまったので、葛藤を覚える必要がないことの表象になっていると解釈しても差し支えがあるまい。

 だからこそリンチにすぎないとしても、それが暴力の終わりであるのならば、もう片方の主体を前面にしたかたちで、つまりは降りかかる火の粉に対して無力な状態で、引き受けざるをえない。すくなくとも、あれだけ欲していたケンカに荷担しない権利が、不慮のこととはいえ、結果的に行使されているのだ。

 当然、これが暴力の終わりになりうる、という見込みの甘さはべつの話としてある。結局のところ、伍代の心配もそこだろう。それにしてもまあ、剛を気遣い、難破家の両親や猛に働きかけ、仲をとりもとうとする伍代の友情には、あやうく涙しそうになるよ。猛の恋人であるカズミの、ちょっとした出番、〈アタシ知ってるぞ アンタが剛のこと大好きだってこと 剛だって アンタやみんなのことが大好きなんだ だからつきたくもねぇウソついてたんじゃねーか〉というセリフもひじょうに良い。こんな友達や恋人が今すぐにでも欲しい。

 いやいやともかく、他人の伍代がなぜ、しかもあれだけクールであった彼がなぜ、よその家の事情に立ち入るほど親身であろうとするのか。いうまでもなく、剛との友情がそうさせるのだったが、過去のエピソードにあったとおり、難破家の幸福な様子を目にするうちに彼自身が家族のイメージを再獲得しているからでもあって、その価値をよく認識しているためだ。またこれは伍代と難破家の関係にのみ特殊な印象ではないことを、先ほど引いたカズミの言葉は裏付けている。

 要するに、外聞上はヤンキーの家系でしかない難破ファミリーの、その良心がどこに見られるべきかを、近辺に置かれた人々の反応は示しているのだといってよい。ここで振り返りたいのは、7巻のくだり、まだ幼く小学生だった剛に、母親のナオミが次のように諭している箇所である。〈剛 気持ちが大事だよ 友達(ツレ)のために中坊に向かってったオメーは偉いよ お前は強くなる なんたって父ちゃんと母ちゃんの子 猛の弟だからな〉というこの、とくに〈友達(ツレ)のため〉という言葉は、口にする者や響きを変え、8巻のなかでさまざまに繰り返されることとなる。

 たとえば、猛に面会した伍代が剛の現状を〈逃げたらバイトの友達(ツレ)ボコるって言われて アイツ 自分が殴られることで終わりにしようとしたんだ…〉と告げているのもそうだし、いよいよ剛と和解するにあたって猛が発するのもそうだといえよう。

 対決の最中、グラに〈オメーがどう思おうが アイツらから見たらオレもオメーも同じクズなんだ!! オメーにクズばっか寄ってくんのはな…オメーがクズだからだよ…〉と言われたのを受け、さらには助けようとしたアルバイトの仲間がケンカにこわがるのを見、剛は暗い顔をする。〈あ〜あ…なんでこうなっちまうかな…アイツの言ってた通り…やっぱオレ クズなんだ クズなんだ… ちゃんとしたヤツんとこには あんなの寄ってこねーよ… オレの… アイツらと同じニオイかぎつけてクズが寄ってくるんだ〉と思う。途方に暮れる。

 だが、ほんとうにそうなのだろうか。違う、決してそんなことはない。〈オメーはクズなんかじゃねーぞ〉と救いを差し伸べるのが、猛の役割である。たいへん親密であった難破ファミリーの、家族のあいだで、兄弟のあいだで、いったい何がすれ違ってしまったのかを、彼の言葉と態度は総ざらいする。すなわち〈オラァな オメーもさ… オレらと同じだと勝手に決めつけてた…〉のであって〈強さで… 存在を証明するっつーか… 強けりゃ強いほど カッケーと思ってる人間〉だと思っていたのは〈だって オメーは男だし 難破勝とナオミのガキだし オレの弟だから〉なのだし〈実際オメーはハンパなく強ぇーしな だから オメーはオレと同じ側で…それは一生変わんねーんだって… オレ勝手に思っててよ…〉、〈でも…オメーは変わった… いや… 今 考えてみりゃオメーはもともと自分からケンカ売ってくヤツじゃねーし… ケンカも 友達(ツレ)助けよーとしただけだって 家出るとき言ってたっけ…〉と反省の色をうかがわせるのだった。

 猛のこのセリフと、7巻時点でナオミにあらわされた言葉、そして剛が一貫してとってきたスタンスに、大きなぶれはない。誤差があるとすれば、それはやはり、強さとして求められるものが全国制覇の野望によって具体化されることへのこだわり、なのだ。グリとグラを二対一で相手する剛を指し、〈どーせ勝てっこねぇ〉と〈あの2人をやった唯一の男が難破猛… つってもそりゃ3年前の話… 今の2人はそん時より数段上… 猛にだって勝てるぜ!〉とのたまうチンピラに、さりげなく伍代が〈弟の方が強ぇかもよ〉と反している点に注意されたい。

 剛は強い。そしてそれはつねに周囲の人間のために身を挺してきたからであることを、伍代はもちろん、『ナンバデッドエンド』の読み手は知っている。グリとグラとの因縁に描かれているように〈友達(ツレ)のため〉なら何でもするのは、猛も同様であるに違いない。しかるに、剛にとってそれはそれだけで完結しうる強さなのだったが、兄である猛の立場にしたら、あるいは勝とナオミの両親にしても、自分たちが為し遂げられなかった全国制覇の夢を託したくなるぐらい、魅力的な強さなのである。

 じっさい、剛が猛と等しく〈強さで… 存在を証明するっつーか… 強けりゃ強いほど カッケーと思ってる人間〉であるかぎり、家族の期待に応えようとする姿は真になるはずだった。が、すでにいったけれども、両者のあいだには温度のひらきがあり、したがってそれは真とはならない。なれない。むしろ、それが偽であることを隠蔽しようとして、嘘つき、家族を騙さなければならなかった。このことが、主人公の運命に軟禁を強いていたのは、周知のとおり。

 さてしかし、長い文章となってきたので、話をもとに戻しながら、多少の整理を加えておきたい。剛の境遇に対して〈オメーがどう思おうが アイツらから見たらオレもオメーも同じクズなんだ!! 〉と言ったのはグラであった。これに思い悩む剛に〈オメーはクズなんかじゃねーぞ〉と言ったのは猛であった。同時に猛は〈オレも…グリとグラ(あのふたり)と変わんねーよな…〉とも言っている。ここで、剛と猛とグラ(とグリ)の三者に、いちおうの区分を設けることは、必ずしも不可能ではない。たぶん、武力抗争によって自己実現を果たそうとする欲望において、猛とグラは共通している。一方、〈友達(ツレ)のため〉に体を張れるかどうかの基準において、両者を差別化できる。また〈友達(ツレ)のため〉に体を張れるかどうかを問うのであれば、猛と剛のあいだに違いはないものの、武力抗争によって自己実現を果たそうとする欲望において、両者は分けられている。

 問題は、武力抗争によって自己実現を果たそうとする欲望、言い換えるなら〈強さで… 存在を証明するっつーか… 強けりゃ強いほど カッケーと思ってる人間〉であろうとすることの極限とイコールであるような全国制覇のかわりに、剛がいったい何を望んでいるのかであって、それはつねづね作中で繰り返し述べられている以上、あらためるまでもないのだったが、たしかに猛は弟の口からこう聞いた。〈オレ ヤンキーのてっぺんとるより友達と一緒に白百合を卒業してぇ…!〉。

 あらかじめ伍代が〈アイツはヤンキー一家に生まれて いやおうなく暴力の世界で育ってきたけど 見つけたんだ 夢中になれるもの… 前向きになれるもんを… アンタ 兄貴のクセに何でそれを喜んでやれねぇんだ〉と訴えていたのを伏線に、ようやく剛の本心を受け入れ、やさしい言葉をかける猛の表情に、それまで物語を覆っていた緊張がゆるみはじめる。あまりにもナイスなクライマックスに思わず、ぐっとくる。

 難破家についていえば、あとは両親の許しを得るのみとなったわけだが、この8巻に見られる勝の、父親ならではの憂いが、ちくしょう、じつにせつねえな。

 7巻について→こちら
 6巻について→こちら
 3巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら

 『ナンバMG5』
  18巻について→こちら
  17巻について→こちら 
  16巻について→こちら
  15巻について→こちら
  14巻について→こちら
  12巻について→こちら
  11巻について→こちら
  10巻について→こちら
  9巻について→こちら
  8巻について→こちら
  5巻について→こちら
  4巻について→こちら
  3巻について→こちら
  1巻について→こちら
  1話目について→こちら
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック