ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年03月22日
 『小説すばる』2月号掲載。絲山秋子の連作シリーズ「ダーティ・ワーク」の第四話目である。「before they make me run」という題名は、これまでと同様に、ローリング・ストーンズのナンバーからとられている。芥川賞受賞第一作ということになるらしい。ストーンズもちょうど来日している時期だし、なんとなく、タイミング的にはばっちりですね。そうかな。さて。この「ダーティ・ワーク」シリーズにおいて、絲山は、ひとつごとに、その作風というか文体を、微妙にチェンジしているのだが、ここでは、複数人の語り手あるいは視点が、順次入れ替わるという手法を用いている。まともな職につかず、アルバイトのない日はだいたいパチンコ屋へ通う〈俺〉は、唐突に会社を辞め、アパートに引きこもってしまった兄のことを考える。〈わたし〉はごく平凡な男であるけれども、女性たちにかける声が、〈それがちゃんと彼女たちの深いところに届いてしまうのがわたしの問題だ〉と思う。恋人のほかに、浮気相手が3人いる。しかし彼女たちの作る料理を一様にまずいと感じるので、ただ恋人の作った料理にだけ、ほっと安心を覚える。そして、次の〈私〉、〈私〉は、仕事上のごたごたのせいで、気分を腐している、男付き合いに関しても、もはや新鮮さを覚えることはなくて、〈多分、とっくの昔にいろんなことは終わっていたのだ。新しいことは何も始まらない。私はまだ、歩きはじめていない〉と感じているのだった。と、登場人物たちの性格(キャラクター)はどれも、これまでの絲山作品のエッセンスを、引き継いだものばかりである。それらがけっして交わることなく、ただモノローグのようにして過ぎ去り、そして三人称を使う統括的な語り手あるいは視点が現れると、ふたたび〈俺〉イコール〈彼〉の方向転換を示唆して、小説は、終わる。興味深いのは、もしも「ダーティ・ワーク」が一冊の本としてまとめられたとしたならば、そのなかで、この作品が持ちうる意味である。見ようによっては、連作のうちに連作のミニマム化されたものが収まっているように思えるかもしれない、いや、そんなことはないか、としても、じっさいのところは、そのときにまとめて読んでみないと、わからないのかもしれない。かつて村上春樹の作品を評して、男女(主体と他者)が向かいあわず、横並びになった時代の小説だという意味合いのことをいったのは三浦雅士であったが、絲山のばあい、もはや横並びになることすらもなく、まるですべてが、自然と、背中合わせになっている。そのことは、最後の段で、白っぽいスーツの女と〈彼〉とが、正反対の方向へと向かってゆく、その姿形に、顕著に、現れているように思う。それはそれとして。ここで〈私〉の友人というふうに扱われている熊井望は、すでに第一話「worried about you」に主人公として登場している。

 「ダーティ・ワーク 第三話 moonlight mile」についての文章→こちら
 「ダーティ・ワーク 第二話 sympaty for the devil」についての文章→こちら
 「ダーティ・ワーク 第一話 worried about you」についての文章→こちら

・その他の絲山秋子に関する文章
 『ニート』については→こちら
 「ベル・エポック」については→こちら
 「へたれ」については→こちら
 「沖で待つ」については→こちら
 「ニート」「2+1」については→こちら
 『スモールトーク』については→こちら
 『逃亡くそわたけ』については→こちら
 「愛なんかいらねー」については→こちら
 『袋小路の男』については→こちら
 『海の仙人』については→こちら
 「アーリオ オーリオ」については→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
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