ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年03月18日
 ロビンソンの家

 感想みたいなものは書いてきていないが、じつは打海文三の小説は、文庫になっているものから、こつこつと読み集めている。わりと好みの作家であるかもしれないという気がしてきた。ああ、でも『ハルビン・カフェ』は思いのほかハマれなかったな。さて。『ロビンソンの家』である。

 〈その夏に会った女の子の言葉。「世界は解読されている。せめてそのことは認めようじゃないの。でも出口はどこにもない」同感だ。出口がなければ、ぼくたちはこの惑星で、いつでも愚行を繰り返すことになる〉といったアフォリズムとそれへの反応に顕著なように、村上春樹ふうな「僕小説」のヴァリエーション、あるいはポール・オースター調のミステリとして、大枠は存在している、といってしまえる、じっさいにオースターへの言及が作中にあるのだけれども、そのことが物語の本懐でないのは、付せられた村上貴史の解説に詳しい。

 正直にいって、その言動やナボコフを手にとったりする〈ぼく〉の造型が、あまりにもスノッブ過ぎるので、前半は、やれやれ、といった気持ちでいっぱいだったのだが、中盤以降、正確にいえば、第三章から先に至ると、これはけっして〈ぼく〉をめぐる小説ではないことが、わかる。亡くなったはずの母親の、奇怪な行動とその真意が、直截的にではなくて、複雑な演出の向こうに、描かれている。まあ、そういった仕掛けがぜんぶ巧くいっているとは言い難いところもあり、すごい、と驚くこともないのだけれど、結末は鮮やかに決まっているので、悪くはない読後が与えられる。

 主題を一言で取り出してしまうのはマズいのかもしれない、だが、あえて行ってみるならば、たぶん、どれだけ抗おうとも人はある種のパターンから逸することはできない、といった具合になるんだと思う。呪われ、戦うが、やがて力尽きて、死ぬ。しかし、それでも足掻こうとする彼女は「敗北の道をえらぶのも人生」と言う〈ぼく〉に向かい〈小さく微笑んだ〉のだった。

 『ぼくが愛したゴウスト』について→こちら
 『裸者と裸者(下) 邪悪な許しがたい異端の』について→こちら
 『裸者と裸者(上) 孤児部隊の世界永久戦争』について→こちら


posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書(06年)
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。