ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年05月15日
 17[じゅうなな](5) <完> (講談社コミックスフレンド)

 ずるいよ。ここにきてこういう本領を発揮したかのようなドラマを描き出すんだから、しんしんと泣く。桜井まちこの『17[じゅうなな]』最終巻であるが、詩歌と恵のカップルに訪れる結末は、同作者の傑作(といって差し支えがないよね)短篇「冬の塵」の、あのすばらしくすぐれた叙情を思い起こさせる。誓い〈まけない さみしさに 自分に〉そして雪の降る。夜に染められた空を白い塵が舞う。ああ、この光景だけでも胸に軋んでくるものがある。5巻のストーリーを要約すれば、おそらくは他愛ない。ようやく通じ合えた二人が高校卒業を機に離ればなれになるやもしれない、の、皆様よくご存知のくだりである。しかしそれがどうしてこんなにも心を動かすのか。理由は大きく二つほど挙げられる。一つには、桜井ならではの端整なカットが作中人物の内面を見事に代弁しているからであって、目や口の開き、表情はもちろん、遠めの佇まいから滲んでくるエモーションを画の力というのであれば、それにはっとさせられてしまうのだし、そしてもう一つは、ストーリーのレベルになるのだが、前巻までの展開に強烈なひっくり返しが加えられており、そこで生じたギャップとでもすべきなかに、ある種のリアリティ、あまりにも厳しい現実の認識が捕捉されているため、つらくさみしい想いの実感がひじょうに高まっている。ふつう、こういうピュアラブルなロマンスにおいて、イノセントなヒロインはその無邪気さゆえに他人の気持ちを溶かす、何よりも一途であることが、純粋であることが、周囲にも認められ、幸福となる。じつは『17』もまた、4巻の時点での内容をいうなら、そのようなロジックで進まされているマンガであった。詩歌の屈託のなさが、恵の過去、秘密、暗がりを晴らし、認められていくところに、作品の軸足が置かれていたのである。だが5巻に入って、つまりはクライマックスへと至り、事態は反転する。いつしか将来を頭に入れていた恵に比べ、詩歌には恋愛の価値基準しか備わっておらず、それは必ずしも世間には通用しないことが、読み手に対し、曝露されてしまうのだ。このあたりの成り行きは存外悲痛な見え方をする。主人公の前向きな魅力は、たんなる幼さでしかなかったことが、容赦なく指摘され、じっさい学校という小さな世界の外側ではまったくお話にならない。あたかも恋人以外のことに関しては空っぽであるかのようにすら表現されている。ロマンスの励ましがいくら必要であっても、ロマンスだけでは生きていかれない現実が、突きつけられる。たぶん作者は、男女の関係をベースに、置いて行く者と置いて行かれる者との差異を用い、それでも後者が前者の手助けになろうとする心境を掴まえようとしたにすぎないのだと思う。しかし掴まえようとする手つきに要求された精緻さは、同時にエゴイズムの深さをもえぐっているのであって、さらには依存と自立の問題を学生生活から社会生活への移行上に浮かび上がらせる。だからこそ、それを踏まえて述べられる〈……今まで「恵のため」とか……「助ける」とか 「がんばって」とか……クチばっかでごめんなさい……がんばって……恵と離れても まけないように…………恵が……安心して東京にいられるように……あたしもがんばる……〉という詩歌の言葉や〈………メールも……電話も…………忙しくて だんだんできなくなるようになるかもしんない…………けど…おなじだから……さみしいのも……つらいのも……………離れても……おなじキモチだから……〉という恵の言葉のあいだには、センテンスが示す以上の含み、一緒にいられないことを受け入れてもなお、繋がりの決して断ち切られないつよさが芽吹く。

 4巻について→こちら
 2巻について→こちら
 1巻について→こちら

・その他桜井まちこに関する文章
 『minima!』
  2巻について→こちら
  1巻について→こちら
 『H-ラブトーク-』について→こちら
 『H-エイチ-』
  6巻について→こちら
  3巻について→こちら


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