ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2005年01月06日
 ブルボン小林イコール長嶋有によるゲームに関するエッセイ集で、これはおもしろかった。僕はテレビ・ゲームの類はもうほとんどやらない人なので、ここで取り上げられているゲームのうち、とくに最近のものは動いてる画面すら見たこともないのだが、ぐいぐいと引き込まれた。それはなぜかといえば、ブルボン小林のゲームに対する愛情が文章全体から滲み出ているからである、というような詰まらないことは言わない。では、どういうことなのかといえば、ワンセンテンスにおける情報量の扱いがものすごく巧みなのである。なぜ『フロッガー』というゲームの主人公が蛙でなければならなかったか、なぜ『クルクルランド』というゲームは真上からの視点によって成り立っているのか、そういうほとんどどうもいいようなことを、しかし本当はどうでよくない、まるで人間というものの、そしてゲームというものの存在理由に関わる問題であるかのように、ゲームの画面と背景にある歴史と当人の感覚的経験などから得た膨大な情報を的確に取捨し、それでもって、たった100字ほどで説明してしまうのである。これはかなりすごいことだ。と、やたら大袈裟になってしまったけれども、要は、ゲーム機の持っている情報処理速度ではなくて、あくまでもゲームをプレイしている側の人間の情報処理速度で、話が綴られているということだ。たとえば、容量にすれば大きな違いのあるPS2のゲームとMSXパソコンのゲームを、同じ情報量でもって語ることができるということである。そうした書き手としてのバランスのよさは、もちろん長嶋有の小説にも生かされている。そのことは本書に収められた『ジャージの二人』の続編、『ジャージの一人』によって確認できる。ちなみに、この本に載っている文章の大半は今現在まだネット上でも読めるので、検索してみるといいです。
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | 読書。
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