ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2006年03月13日
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 ああ、最期の最期に漢(おとこ)をみせるかよ、イグナシオ。まさに〈・・・ドラマのクライマックスだぜ〉といった感じの、山本隆一郎『GOLD』15巻である。イグナシオの謀略により、一夜にしてロットン・アップルズは、ほぼ壊滅状態に陥った。窮地に立たされた十雲は、死神の幻影を見、死へ向かう覚悟の足りなさを思う。一方、スバルは、ステゴロの元と呼ばれる伝説のヤクザとのタイマンにおいて、いま敗北を喫しようとしている。しかし、生き方を見失ったことに対する人々の後悔や戸惑いが、十雲とスバルを、ふたたび立ち上がらせるのだった。もしも人間に「ほんとうのじぶん」などといったものが備わっているとして、つねにそれを自分の心のうちに置いておくことは、とても困難だ。だから、ときに自分以外の何かを頼ったりもするんだろう。イグナシオは言った。〈すがる物が何もなく生きていくのは・・・とても不安なんだ〉。『GOLD』というマンガは、ひとつ、「ほんとうのじぶん」にまつわる物語なのだと思う。けれども、それはア・プリオリに各人のなかに在るものではなくて、苛酷な地獄巡りの果てに、ようやく発見される、そういった類のものに他ならない。かくして、ある者はアウトサイドに身を落とし、ある者はそのアウトサイドにすら居場所を見つけられず、そしてある者は〈他人を無価値と断じることでしか自分の存在を確認できない――そんな自分はいつまでたっても“本物”になれないんじゃないか・・・〉と考え、〈今日この場を死に場所に選んだんだ〉と言う。〈おまえは死ぬ事が怖くないワケじゃない〉〈生きていく事が怖いんや!〉といわれれば、たしかに、そうとおりなのだった。そうした恐怖を引き受け続けること、あるいは乗り越えようとすること、そして生き延びることを指して、「闘い」と呼ぶとき、かならずや「闘う理由」はあった。「闘う理由」とは、要するに、「光」の言い換えである。ところで「光」とは、自分を照らしてくれるためにあるのだろうか、それとも、自分以外のものを照らすためにあるものだろうか、おそらくは両方の面を兼ね揃えている。がゆえに人は、「光」を見いだす、そのことで、生きるも死ぬもできるのではないか。などと、いやいや、じっさいのところはどうかわからないんだけれど、すくなくとも光のために闘うのなら、そこには胸を張るに値する「ほんとうのじぶん」といったものがあって、過去に犯した間違いをすら、正面から迎え入れられるに違いない。さて。この巻で、怒濤の展開は、いったん収束している。ほとんどの登場人物が日常へと帰還した。なので逆に、ここからスバルと十雲が、どうやって結着をつけるのか、そこへどのようにして物語を持っていくのか、一段落したあとだからこそ、またもや目が離せなくなってしまった。というか、いよいよヤンキー・マンガ云々という文脈を越え、いま現在もっともおもしろいマンガといってしまいたくもなるのだが、まだあなたはこれを読んでいないのか。なんてもったいない。

 13巻と14巻について→こちら
 12巻について→こちら
 11巻につてい→こちら
 10巻について→こちら
posted by もりた | Comment(0) | TrackBack(0) | マンガ(06年)
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