ときめいて死ね!!
いいや、戦って死のう。
2010年04月08日
 前巻からの引き、そしてこの最終11巻に描かれる全国大会の決勝戦から余韻まで、たいへんぐっとくるものがあった。野部優美の『空手婆娑羅伝 銀二』だが、一人の不良少年が、空手との出会いを通じ、とくに精神的な面で成長していく過程を、余すことなく描ききったと思う。作風は暑苦しく、ともすれば古くさかったかもしれない。だがしかし、そのような観点がマイナスとはならない、いやむしろそれ自体が、普遍的とさえ言い換えられそうな、色の濃い感動をもたらしているのである。クライマックスはもちろん、主人公である銀二とライヴァルにあたるピッコロ(伊東)の、はたしてどちらが最強に相応しいか、不屈さを試すがごとく、勝敗を分けていくところに見られる。試合内容のすばらしさは、小林まことの『柔道部物語』における三五と西野のそれを彷彿させる。一方で物語はここまでに、道場の人々、家族や友人を含め、周囲の愛情により、個人がつよく生かされる様子を、まっすぐ汲み取っていたのであって、そのすべてが決勝戦での打ち合いを介しながら、あらんかぎりのやさしさへと結実する点に、やはりぐっときてしまうのだよ。決勝戦の半ば、銀二とピッコロの対照を描くにさいし、ややアクロバティックな手法がとられているのだけれども、それはとてもうまくいっている。身体と内省の表現においては後者に寄りすぎではあるものの、拳の交わる一撃一撃を、あくまでもコミュニケーションの延長として、どう比喩的にあらわしたらよいか、すくなくとも作者なりの解答例が出されていることを評価されたい。やがてピッコロにかける銀二の〈おーし いつまでもこんな暗い所にいねーで 明るい場所に行こ――ぜ さ 立て〉という言葉の重みが、あるいは反対に深刻な世界を晴らすような軽さが、作品の鮮度を上げている。かくして銀二がピッコロの呼び名を変えるのは、さりげないが、じつに効果的な印象を持つ。所在のない人間はいつだってどこにだっている。だからこそ、誰にだって救いはある、必ずや互いが互いに互いを認められる人間と巡り会える、決して孤独ではない、と信じなければならない。たぶんそれは、いくら繰り返されても構わないテーマを担っているので、ぐっとしてしまう。

 3巻について→こちら
 1巻について→こちら
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